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第6章.パレルモとアランチーネ

僕の名前「アランチーネ」は、このパレルモで過ごした日々と関係が深い。イタリアで「アランチーニ」というライスコロッケは有名だが、パレルモでは「アランチーネ」というらしい。

1つ(日本円で)60円程度のソフトボールくらいの大きさのアランチーネは、パレルモでの僕と旅仲間N君の日常食となりつつあった。
イタリアも、南下するごとに宿代もゴハン代も徐々に安くなる。1か月間、生活費を切り詰めながら過ごすには、この物価感はとても追い風だ。

僕とN君の共通の好きな映画「ニューシネマ・パラダイス」には、主人公が成人しローマ(?)に向かう時に駅で親戚や親しい人々が全員で送り出すシーンが登場する。なんとなく、それがヒントかと思い、パレルモから列車で数駅のバゲリーア(Bagheria)まで向かった。なぜバゲリーアなのか?今思うと、全く論拠のない行動だったと思うが、旅仲間N君が、パレルモから普通列車に乗り、「それっぽい駅で降りよう!」というすごく原始的な方法を提案してバゲリーアで降りたのだった。バゲリーアの街をさんざん歩いた挙句、なんのヒントも得られず、途方に暮れて駅に戻ろうとすると、途中、一軒のレンタルビデオ屋があった。レンタルビデオ屋は、映画好きが経営もしくは働いている可能性も高く、ましてや自分の地元が映画の舞台になっているのであれば知らないはずはない、とN君と喜び勇んで店に入った。

シチリア島は、想像通り英語が通じない(通じ辛いを通り越して通じない)。そんな中、身振り手振りと少し巻き舌でキーワードをイタリア語っぽく表現(例えば、インフォメーションはインフォルマティオーネとか)しながら、僕たちが撮影場所を探していることを必死に伝えた。レンタルビデオ店の店長が、「友人が撮影に参加し、映画に出ていたと思う」という貴重な情報と共に、その友人にすぐに電話をかけてくれた。その友人がレンタルビデオ屋までわざわざ来てくれて(皆、総じて暇そうなシチリアの人たちだった)、撮影場所が、「パラッツォ・アドリアーノ(Palazzo Adriano)」ということがわかり、パレルモのバスターミナルからバスで行けることまで教えてくれた。昼間の散々歩き倒した苦労が報われた気がした僕らは、パレルモに電車で戻り、翌日のバスの時刻を調べ、それが早朝と夕方の二往復しかしないことも分かったので、寝坊しないようその日は、夕食は軽く済まし、早めに寝ることにした。

夕食は、もちろん「アランチーネ」である。

#一度は行きたいあの場所

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