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”不登校気味”の少年と英語

 不登校児童生徒数 が299,048人―。2023年10月4日、日経新聞など各紙が報じた文部科学省調査の数字に、胸の奥が、キュンと、締め付けられた。

 私も、小学校の時、不登校”気味”だったからだ。

入学式後に大号泣 引っ込み思案の性格

 小学生に上がったときは、引っ込み思案の性格だった。小学校の入学式後には、母親とはぐれて大号泣。おそらく、同級生の中で最速で、校内アナウンスを通じて母親が呼び出された。何かを自分で判断するのが苦手。「あんたは指示待ち症候群ね」と言われたのを、幼心に今も覚えている。

 さらに悪化したのが、小学3年の時だった。家から小学校までは、歩いて3キロ弱。「登校班」という、近所の小学生と一緒に通うのだが、集合時間近くになると、毎日のように、決まって強い腹痛を覚えた。病院に行っても、何か病名が見つかるわけではない。おそらく、何か心的な不安。今振り返れば、当時は父親がインドネシアに単身赴任しており、母親と妹しかいない「男親のいない家庭」。食も細く、小学3年生にして、平均体重よりも5キロほど少ない25キロ程度。幼いながらに何か心的プレッシャーを感じていたのだと思う。

 不登校”気味”としたのは、学校には通っていた、ということ(文科省調査では、不登校の定義は『年間30日以上の欠席者』など)。午前10時くらいになると、腹痛は治まり、そこから学校へと通う。毎日のように母親に連れられて、給食前に学校へと着く。母親によると、学校に着くと同級生に囲まれ、今までの病人ぶりがうそのように、元気に教室に向かっていたという。

少年に自信を与えた二つの”武器”

 そんな性格を変えたものが2つある。4年生で始めたソフトボールと、英語だ。

 ソフトボールは、2歳上の、同級生のお兄さんの影響で始めた。練習のない日も毎日のように公園で壁にボールを当て、夜はバットを振った。6年生でキャプテンにも選ばれたが、試合ごとに緊張でまた腹痛に襲われる。キャプテンはくじ引き次第で選手宣誓をしなければいけないが、その緊張で、またゲーゲーと吐き気を催した。試合の朝は、消化も考えてお茶漬けを食べることが多かったが、30年経った今もその習慣か、お茶漬けが朝食の定番だ。

 それでも、ソフトボールで体力的な成長もあり、中学でも野球部に入部し、プロ野球選手を夢見るほど、競技を楽しめるようになった。

 もう一つが英語。私が通った幼稚園は、英語教育に力を入れていて、卒園した後も、卒園生向けの英語教室が開かれており、小学生になっても英語の勉強(勉強というより、英語を使った遊びだったと思う)を続けた。

 この英語教室の中で、引っ込み思案の少年に自信を与えたのが、3年生ごろから毎年出場する英語の暗唱コンテスト。一人5分くらいの、学年ごとにレベルの違う英文を覚え、みんなの前で暗唱する。発音や文章の暗記度、表現力などで評価されるコンテストだ。今も、アメリカ捕鯨船に救助された土佐藩の漁師、ジョン万次郎に関する文章は、頭をよぎるほどがあるほど練習した。

 そのコンテストで、3年ほど連続で優勝したのだ。

 今考えれば、人生で最初の「成功体験」。ほめられたことで調子に乗り、一気に英語の勉強にのめりこんだ。中学でも高校でも、英語は一番の得意科目だった。

 ソフトボールと英語。この2つがなければ、私はもっと不登校傾向が続いていただろうし、海外で青年海外協力隊として仕事をしようとか、国際交流・国際協力・多文化共生を仕事にしようとは、思わなかったと思う。

気持ちが分かる当事者だからこそ

 2023年の今、子どもを対象にした非営利事業を仕事にしようとしている。その解決しようとする課題の中には、外国にルーツのある子どももいれば、不登校もテーマの一つである。

 私の小学生時代より、現代は不登校に関して寛容になってきた。私も経験から、学校に「戻る」ことが、必ずしも正解ではないと思うし、学校以外での学びの場、成功体験があったからこそ、今の自分があると思う。国際協力や多文化共生の現場でも、成功体験による自己肯定感を上げることが、重要だと身をもって知った。人生の選択肢を広げてあげる(強制はしない)ことも、大事な支援だ。

 ”気味”ではあるが、かつて不登校だった当事者だからこそ、分かる気持ちがある。社会人になってからも、心がぐちゃぐちゃになって、仕事を休んだこともある。当事者だからこそできる支援をしようと、ニュースにキュンと締め付けられた胸の痛みを、「心の宝箱」に鍵をかけて、そっとしまった。

山路健造(やまじ・けんぞう)
1984年、大分市出身。立命館アジア太平洋大学卒業。西日本新聞社で7年間、記者職として九州の国際交流、国際協力、多文化共生の現場などを取材。新聞社を退職し、JICA青年海外協力隊でフィリピンへ派遣。自らも海外で「外国人」だった経験から多文化共生に関心を持つ。
帰国後、認定NPO法人地球市民の会に入職し、奨学金事業を担当したほか、国内の外国人支援のための「地球市民共生事業」を立ち上げた。2018年1月にタイ人グループ「サワディー佐賀」を設立し、代表に。タイをキーワードにしたまちづくりや多言語の災害情報発信が評価され、2021年1月、総務省ふるさとづくり大賞(団体表彰)受賞した。
22年2月に始まったウクライナ侵攻では、佐賀県の避難民支援の官民連携組織「SAGA Ukeire Network~ウクライナひまわりプロジェクト~」で事務局を担当。
2023年6月に地球市民の会を退職。同8月より、個人事業「人とヒトの幸せ開発研究所」を立ち上げ、多文化共生やNPOマネジメントサポートなどに携わる。

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