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『親という人間』

「モンスターペアレント」、これは教員達が教育現場に理不尽なクレームをつけてくる親に対して使い始めた言葉です。転じて最近は常識外れな親に対して使われるようになってきました。様々な常識外れな親の行状がマスコミなどで紹介されてます。これらは多少興味本位に取り沙汰されてるようですし、個人的には不寛容で世知辛い高齢社会が、子を持つ親に厳しすぎる目を向けてるような気がします。

 私のような個人のサービス業の立場からすると、仕事上で投げ掛けられる言葉に理不尽なクレームという発想はわきませんが、稀に受けとめきれない重さを感じることもあります。親としての苦悩を感じる時です。または、それが子供の精神状態に大きく影響を与えている時です。敢えて『モンスター』という言葉を使うなら、親の心の中に居る『モンスター』についてお話ししましょう。

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 人は子供を授かった瞬間から親という呼び名も授かります。親になるためには資格が要るわけではなく、当然ながら親になるための学校もありません。ほとんどの人々が親になるためにこれといった準備をしたわけではありません。ある日突然、親という立場に立たされることになります。親というのは子供との対語にあたり、関係を表す言葉に過ぎません。肩書きと言っても良いでしょう。しかし、一人の人間であっても親という肩書きを持つのと持たないとでは、社会的に要求される役割がだいぶ違います。

 では、「親の役割とは?

 答えに窮してませんか?

何か親の役割が細かく規定されている様に感じていませんか?
何から答えて良いのか?、と悩まれた方もいるでしょう。

 
 キチンと子供を育て上げたい、どの親も抱く思いです。そのためにはできるだけ多くの情報を得て、できる限りのことをしてあげる。親の愛情です。現代は子育てや教育に関する情報が手に入りやすいし教育産業も花盛りです。求めればいくらでも与えられる世の中なので、こうした状況下では親の役割のイメージも具体的です。まるで、やるべき事が呈示されているかのようです。それをしっかりと果たしていくことは、一般的に立派な親と言われます。

 「いくら立派でも程度の問題だ」

 多くの方はこう感じられるでしょうが、ついついやり過ぎてしまうこともあるでしょう。こうした積極性は純粋そのもので、責めようがないです。母親ならば、家事全般から子供の身のまわりの世話、塾や習い事のスケジュール管理、送迎、休みの日には遊びに連れて行く。専業主婦でもこれらをこなし続けるのは大変なのに、多くの方は自分の仕事を持っておられます。父親でも、早朝深夜に子供の勉強をみたり、休日には一日中子供に付き合う、全く自分の時間を持たずに子供のために当てる方がいます。もう「頭が下がる」としか言えません。

 こうした親を持った子供が幸せなのは言うまでもありません。それでも、そう首尾良く行かないのが子育てです。親が子供に注いだエネルギーに比例して、成績が上がっていくとは限りません。勉強と言わずとも、習い事や普段の躾でも必ずしも成果が出るとは限りません。成果が出なければ出ないで、手を変え品を変え効果的な手段を模索し試す。これを繰り返す。そして、その後に行き着くのが、

 「私がここまでやってあげているのに、どうしてあなたはそうなの?

 この徒労感です。上手くいかないと感じた頃には既に悪循環になっているのです。はっきりこういう自覚が出てきたらかなり深刻な状況と言えるでしょう。

 俗に言う『愛情の裏返し』とはこういうことを言うのかもしれません。子供に対する明らかに愛情とは違う『何か』が存在していることに気付くのです。その『何か』に戸惑いを感じ、怒りや怯えなどの様々な感情が交錯し冷静な思考が持てません。

 これは心も身体も疲弊しているからであり、こういう時こそ休息が必要です。
 ただ、こうした最中に「休んだ方が良いですよ」、「もう少し気楽に考えましょう」、と言ったところでなかなか聞き入れて貰えないのが現実です。そういう意味で、私の立場からは難しい局面と言わざるを得ません。

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 何事にもぶれないことは美徳です。子育てに関してもぶれない子育てというものがあるでしょう。先ほどの質問「親の役割とは?」にも明快に回答できる方がおられるでしょう。こうした人達は、いつか自分が子を持つ親になることをイメージして周到な準備をされてきたのかもしれません。心構えがあったということです。

 親の役割における一番の先生は自分を育ててくれた親です。先ず家庭生活は、良しにつけ悪しきにつけ、自らが育った家庭環境を投影することから始めるでしょう。子育てに自分の両親の考え方が大きく反映されていることもあるでしょう。特に、現在の自分の地位に両親に負うところを感じていれば尚更です。父母のように子供を育てようと思うのは当然です。

 頑固親父を引き合いに出さずとも厳格な家庭はいくらでもあります。そうした厳格さと子供の反発は普遍性すらあります。しかし、過度な親子の対立が生じる家庭には単に一つ屋根の下の当事者だけの問題ではないケースもあります。自分自身の親との関係をもてあましている場合、それが子育てに影響していることがあります。

 親離れ子離れ、これはある時点が来れば必ず起こるとは言い切れず、親子関係はズルズルともつれた糸のように繋がっていくこともあるでしょう。子を持つ親になってもまだ子供のままでいることがあります。親に抱く感情が幼少期のまま持続しているということです。そして、それはたいがい負の感情です。親の立場でもあり子の立場でもある自分の中の自己統一性が保てなくなってしまうのです。得てしてこうした場合は、子供に対しても自分に対しても抑圧的になりがちで、関係が悪化し続けます。もちろん、葛藤が葛藤を生む悪循環です。

 ぶれようがぶれまいが、どういう育て方をしても子供が思うようにいかないというのは同じです。自分の理想と現実とのギャップに苦悩しながら子育てを成し遂げていくことになります。子供の成長は、言うなれば親の成長でもあるのです。子育てが自分自身の脱却に繋がれば良いのですが、やはりこれもそんなに簡単なものではありません。

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 極端な二つの例を挙げましたが、自分自身の心の状態と向き合うことはとても大事なことだと思います。それには先ず、子供と自分自身は同体でないことをはっきりわきまえることが肝要です。
「子供がいるから休めない」、
「子供がいるから雑事にかまけるわけにはいかない」、
という道理は決してありません
日常でも社会生活をしている以上、家庭以外の個人的な問題をどうしても抱えてしまいます。頑張りすぎないで下さい。

 
 子供は目に見えて身体が大きくなっていき、自分が経験してきたような心の変遷を見て取ることができます。だからといって自分が親として成長している実感はなかなか湧かないものです。

 親であることは手探りで前に進むようなもので、常に不安はつきものです。当然、親にしろ一人の人間であり、大人といえども日々迷いとの戦いです。

#子育て #受験 #教育 #家庭教師 #モンスターペアレント #医学部受験

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