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いつもいつも選挙結果にはガッカリ

 第二次安倍政権以降、ちょっと昔の自分自身がそうだったけど、毎度毎度の選挙結果に失望して、「もうこうなったら自分自身に依るしかないから、しっかりと足元見ながら生きていこう」、なんて気になってしまってた。今回の都知事選が終わった後もこの手の書き込みがSNSに散見された。
 政治に期待しない、世の中の雰囲気を気にしない、まぁ厭世的になるのはよく分かるけど、『自立した生活』については少し考えるべき余地がありそうだ。
 
 自分自身が保持している現在の生活環境はほぼ成育環境に依存している。もしかすると育ってきた長い時間よりも出自に依るところの方が大きいかもしれない。そういう意味において、今ある豊かさは公平さに欠ける。
 ただ、そういう不公平さは個々人の常識の範囲に於いて許容範囲だろう。資本主義に生きることを前提にしている者にとっては受け容れざるを得ない差異でしょう。
 問題は、その許容の先にあるものだ。
『自助努力』、美しい言葉のように聞こえるが、自助努力ができる世の中を担保するのは自由で公正な世の中なのだ。
 昨今、この『自助努力』は人を貶める為に使われることの方が多い気がする。持てる者が持たざる者を貶める為に使われがち。その実は、既得権益を合理的に行使することを『自助努力』と呼び、機会が持てないことを『努力不足』と呼んでいるように聞こえて仕方がない。
 
 仮に中道、リベラルを自認する人間が政治的失望から『自助努力』こそが進むべき道だと思っているのなら、それこそ政治的敗北だと思う。
 自助努力の甲斐がある世の中実現の為には自由で公正な世の中を追求し続けなければならない。自由と公正、これらを担保するのは民主主義以外にはない。そして、民主主義を守り続けることこそが自分自身の信条に伴う政治活動であるということ、これらを忘れてはならない。

自戒を込めて…

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