『クリスマスと中二病』
クリスマスの時期に何の気無しに、
「サンタクロースっていつまで信じてた?」
って子供たちに聞くと、意外な反応が返ってくることがあります。
意外と言うのは、小学5、6年生でもサンタクロースの存在を信じてると言うのです。反応の仕方は様々で皆が皆完全に信じきってるわけではないですが、「親がプレゼントを用意してくれてる」と断言すると異常なくらいに幻滅する子がいます。
これを読んでる人の中には、「何も子供の夢を壊すこともないだろ!」と怒りを覚える人もいるでしょう。ですが、ご自身の記憶を辿ってみてください。小学校高学年でサンタクロースを信じていましたか?
クリスマスは子供の成長と共にその形態が変わってきます。小学校にも上がり高学年にもなると、クリスマスはいわゆるロールプレイで、親も子もサンタクロースが居ることを前提に互いの役を演じるエンターテイメントの様相を見せます。少なくとも子供は、プレゼントの代償に喜ぶ姿を親に見せるという役割で、ほとんどの子供がその役割を理解してます。この理解こそが心の成長の証です。
身体の成長同様、心の成長にも個人差があります。特に小学生はその差も甚だしく、一様に年齢だけで横並びの比較はできません。やはり、サンタクロースを信じるか信じないか、心の成長の度合いに関わることです。近代合理主義が当たり前になって、なおかつ高度情報化社会でどんな情報でも直ぐに入手できる時代の子供がそう長々と神的な存在を信じ続けることに疑問を感じざるを得ませんが、今回はそこには踏み込みません。
"中二病"
「中二病」と言われる言葉があります。サンタクロースに例えるなら、
「サンタクロースは中学2年生までは信じていても許されるが、中学3年生になっても信じていれば、それは中二病」
なのです。
サンタクロースを中学2年生まで信じきる子供はそうそう居ないとは思いますが、中学2年生の年齢くらいまでは非科学的や不合理なことを盲信しやすいのです。もちろん、中学2年生にはっきりとした線が引かれるとか、そういうものではないですが、大抵この辺りから急速に思考が合理的になっていきます。いわゆる大人への転換です。故に、大人へ成長できない子供達を称して「中二みたいな奴=中二病」ということなのです。
"中二病と進路決定"
通常、中高一貫校に通っていない子供達は中学3年生で高校受験に向き合わなければなりません。高校受験では将来の希望に自らの実力や家庭の事情を総合的に加味して志望校を決定します。ここでは自分自身を見つめる客観性が必要です。中学2年生の線を越えてきた子供に大人の思考が試されることになるのです。また、この機会にこそ、否応なしに大人としての転換が図られると言ってもいいでしょう。この点、私は高校受験を経験することが非常に子供の心の成長に有益だと信じてます。
ところが、合理的な進路決定ができない子供がいます。ご想像の通り、実力とかけ離れた学校を志望する子供です。高い目標を自らに課して努力を積む子供のことではありません。勉強習慣そのものがそのランクに見合うものではない子供のことです。こうした子供のタイプは2つに分かれます。一つ目は、本気を出せばいつでも学力を向上させられるという自信過剰タイプです。こうした子供はいつまで経っても自分の考えるような機会が来ることはなく徐々に自信が萎んでいき、結局は投げやりになっていきます。この手の子供は中位度以上の学力の子供に多く見られます。二つ目は、何もしなくても合格できると思い込んでるタイプです。受験を、玩具を買って貰うことと同じくらいにしか認識しておらず、望めば手に入るくらいの感覚なのです。学力が低い子供に多く見られます。
この両タイプ共、彼らが抱く裏打ちのない全能感は中二病そのものです。再三再四、受験校の再考を促しても聞き入れることはありません。最大の難点はここで、他人からの働きかけが効かないのです。
(付記しておきますが、二つ目のタイプは中学受験を目指す小学生には多く見られます。当然ながら、未成熟な精神がそう思わせるわけです)
往々にしてこうした子供は受験に失敗するわけですが、高校受験の失敗はその先の人生を大きく変えかねません。結局は、失敗に学びことしかできないと高を括ることも難しい状況もあります。滑り止めに受からないことさえあるのです。その上、滑り止めに受からないという厳しい現実を受け止められずに、益々自分の中のファンタジーな世界に篭っていくという最悪の悲劇もあり得ます。
また、一つ目のタイプは中高一貫の進学校に在籍してる高校生にも見られます。高校受験を経ずにエスカレーター式に高校入学する為に、受験で経験する自己決定のプロセスを経ないのです。挫折や失敗を経験しないが故に全能感を持続させるのです。こうした子供は小学校時代の蓄積を早々と使い果たし、勉強習慣どころか机に座ることさえ苦痛に感じるにも関わらず、全国トップクラスの同級生たちと自分が肩を並べてると過信していたりもします。
進学校は生徒への動機付けを重視します。いわゆる高い意識を持たせようとするのです。それはエリート教育とも言われます。「夢は大きく、自分の可能性を信じて」、などというフレーズは一歩間違えば、子供の全能感を煽ります。これ、進学校のみならず、進学塾などでも児童生徒の人身掌握でよく使われます。
では、家庭内ではどうでしょう?「やればできる子」。これもよく口に出されるフレーズではないでしょうか?
"心の成長を促す"
最近、進路指導が形骸化してると言われてます。本人の意思を尊重する為に学校側からの指導という指導があまりないというのです。生徒の実力に見合った受験計画を立てることが差し出がましいと意義を唱えられることも多いからです。要するに、
「こんな成績じゃそんなところを受けても受からないよ」、
ってことが言えないですし、言われたくないということなのです。
これってピンときませんか?
「サンタクロースが居ないなんて、子供の夢を壊すのはけしからん!」
ってのと似てませんか?
やはり、子供の成長に見合った接し方は必要だと思います。いつまでも子供のままでいて欲しいという気持ちはよく分かりますが、子供の心の成長を促すことも大人の役割です。自分自信が大人であるという自覚さえあれば子供の成長に寄り添うことはそう難しいことではないと思います。
子供が夢を大きく抱くことや、やればできる人間だと大人が褒めることはとても大事なことでまったく否定するつもりはありません。ただ、その裏に潜む危険性を気に留めていただきたいというお話でした。
(実は上の文、クリスマスに上げたつもりでいた文なのですがずっと下書きのままで公開させてませんでした。来年まで待つべきか迷いましたが、上げさせて貰いますね。タイミングが悪くてすいません)
#子育て #教育 #高校受験 #中学受験 #落ちこぼれ #家庭教師 #中二病
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