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夏祭り #シロクマ文芸部

ラムネの音がした。
瓶の中のビー玉がころがる「カラン」という音。
この音を聞くと、コウヘイの記憶は、まだ小さかったあの日にさかのぼる。

初夏の日差しが少しゆるやかになった夕暮れ時。
母に連れられて、近所の神社のお祭りに出向いた。
たくさんの人でごった返している神社の参道を、母の手をしっかり握りながら、コウヘイは歩く。
比較的大きな神社で、参道には多くの屋台が並んでいた。

「何か飲む?」
母に聞かれ、コウヘイは大きく頷く。
飲みたいものがあった。
神社を歩いている中で、あちこちで「カラン」という音がしている。
音が出る方を向くと、透明で少し青みがかった瓶を手にした人がいた。
あれは何だろう?
コウヘイは、初めて見る飲み物に興味をかれていた。

「カラン」
また音がした。
コウヘイは音のする方を指差し、
「あれが飲みたい」
と母にせがんだ。

母がお金を支払うと、屋台の人が、ラムネの瓶の上部を押し込んだ。
ビー玉がころがる音がした。
ラムネを手渡されたコウヘイは、瓶の中にあるビー玉をじっと覗きこむ。
母はそんなコウヘイの姿を見て笑っていた。

コウヘイが母とお祭りに行ったのは、後にも先にもその一度きりだ。
まだコウヘイが小さいときに、母は出て行ってしまった。
大人になった今でも、この神社に、このお祭りに来るのは、ラムネの音を聞くためかもしれない。
母との数少ない思い出を、心に蘇らせるために……。

「どうしたの?」
まだ小さな娘のアキが、少し顔をしかめながら、コウヘイのことを見上げる。
知らず知らず、アキの手を握る力が強くなっていたようだ。

「カラン」
またラムネの音がした。
コウヘイはアキに謝りながら、屋台の方を指差し、
「ラムネ飲もうか?」と言った。
アキは笑顔になり、大きく頷いた。


小牧幸助さんの企画に参加させていただきました。

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