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本能寺の変は「神殺し」だったのではないか?

記録では、明智光秀の三女・玉は、夫の細川忠興の親友がキリシタン大名の高山右近で、右近はキリスト教の素晴らしさを説いたところ、忠興は改宗しなかったが、その素晴らしさに妻の玉は改宗して洗礼を受け、細川ガラシャと改名までした…と、なっている。
 しかし、高山右近は、本能寺の変の後、天王山の戦いで豊臣秀吉軍の先鋒として父を破り、その後は、坂本城に籠城した2人の幼い弟を自刃に追い込んだ憎くい人物。いかにキリスト教の教えが素晴らしくとも、いかに夫の親友といえども、自分の父親と13歳に満たない2人の幼い弟を殺した人物の話をすんなり受け入れただろうか?更に、自分の姉・長女が嫁いだ夫の領地・摂津を、偶然とはいえ、まんまと乗っ取る形で手に入れた人物である。
 ここの疑問を手がかりに書かれた本が、『キリシタン教会と本能寺の変』浅見雅一、2020、角川新書、である。詳しいことはこの本に譲るとして、この本を読んでみて、著者とは違う考えを持つに至ったので、ちょっとそのあたりの話をしてみたいと思う。

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