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始まりは、わたしから。


あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

大晦日に娘夫婦が遊びに来てくれて、毎年の楽しみになったクラフトビールを飲み、紅白を観ながら妻が用意してくれた料理と、お義父さん製の年越しそばを食べ、楽しくお喋りをしながらやがてカウントダウン~手土産のシャンパンで新年を祝う乾杯をした。

元日には隣接する妻の実家へ挨拶に行き、義父、義母、妻の姉夫婦とその息子たちに会い(近年は珍しく全員が揃って)その後は義兄を中心にボードゲームが始まり、息子と娘夫婦もそれに加わって遊んだ。

金粉が舞うのが見えるような、穏やかな幸せ。

やがて日も暮れる時間になり、娘夫婦を駅まで送って行くとなったそのとき、スマホから例の嫌な警告音と、テレビからは尋常じゃないトーンで、緊急地震速報が連呼され出した。

それはある意味、見事なタイミングで。





子供のころ、大惨事が大好きだった。
大学(短大)ではふざけて「大惨事評論家」を名乗って、3コ上の先輩(だけど同級生)と偽悪を気取っていた。

大学(短大)では福井出身のその先輩と、8m映画を撮ったりしていて、ロケと称して夏休みの帰郷に同行した。
その際に金沢の友人を訪ねるということで、
石川県に足を延ばし、その友人が能登半島を一周ドライブで案内してくれた。

それは個人的な、ただの思い出。

子供のころ学習する習慣がついてなくて、
歴史のお勉強についていけない代わりに図書館で、1970年代に学研から出ていた
「ジュニアチャンピオンコース」ってのがあって、そのなかの、
『驚異の記録 あの事件を終え』(大野進)とか、
『驚異の記録 世界ショッキング事件』(大野進)とかといった子供向けのノンフィクションが大好きでよく読んでいた。


これが多分一番人気


1970年代の当時はオカルトブームのはしりで、同シリーズの、
『絵ときこわい話 怪奇ミステリー』(佐藤有文)とか、
『最新情報 空飛ぶ円盤を追え』(並木伸一)だとかの、後にいうところのトンデモ本がブームを牽引したのだろうけど、いま改めてラインナップを見て思い出すのは(しかし便利な世の中ではあるなぁ)先述したのとか、それに加えて、
『科学捜査 あの犯人を追え』(長安周一 監修 大野進)
とかを選んでいたのを鮮明に思い出しますし、やはりリアルな事件や事故、災害に興味を持っていて、それはすなわちオカルトのような超常現象など信じてはおらず、子供のころから自分は「現実的な怖がり」だったのがわかるわけです(『大惨事評論家』になるまでのわたし、でした)

客観的に見れば、斜に構えたイヤな子供、若者でいられたのが、1995年(娘が生まれた年の、ちょうど今頃の季節だ)の、
「兵庫県南部地震」(阪神・淡路大震災)によって、たぶん初めて災害によるリアルな恐怖を感じるようになった。

そしてその16年後の「東日本大震災」(2011年)…

さらに今回の「令和6年能登半島地震」(2024年)。

とかいって、なにが「今回」だよと思う。
こんなブログ書いてる場合じゃないんだよ。


実際元日のテレビは、全局が報道に切り替わった。

お正月気分が吹っ飛んだと思う。全国で。

これが続くんだと思っていたら、翌朝は予定通り駅伝がスタートしていた。
元日の特番関係の方々はお気の毒だが、それはそれで良いのだと思う(いや良いも悪いもない)

「しかしさ、つい昨日のオレたちみたいに、たった数時間前まで幸せなお正月を過ごしていた人たちが修羅場になってるってのに、生死がかかる状態だってのに、テレビが日常に、しかもお正月に戻って楽しんでるってことはさ、ここ埼玉県が同じことになった場合にだよ、同じ状況を想像してみてよ。そういうことだよね。でも仕方がないんだよね(仕方がないんだろうか)ということは距離の問題なのかね(そうなのだろうか)もし自分たちがそうなったら、きっと助けてくれる人はいるだろうね。その善意の有り難さに、今度その人たちがそういう目に遭ったときには、一も二もなく助けに行くよね。それでいいのかとも思うけど」(と、家族に偉そうにブッた話より)


でもやはり、始まりは自分から、がいいよね(今は寄付することしかできないけど)


そういうことをわかっておいた方がいいだとか、家族に要らんこと言ってシラーっとさせてしまい、最近はついに「メンドクセー」とか言われる。


こういうのもマンスプかと少し反省する。


でも思ったことを生で言える家族は大切じゃんね(だからこそマンスプにならないように!)


あの日から、今の今もきっと、
どこかで誰かが「断末魔」なんですよ!


NHKの、緊急地震速報のアナウンサーだけが本気だった。


ヒステリック?ふざけるな。


元日のウォーキングではニュースを歩きながら聞いて、2日もラジオはさすがに地震関連だろうと思いきや、普通に誰かと誰かが対談をしていて、


ヤマザキマリさんの番組だった(断続的に入る地震速報で途切れがちだったものの)

それと連休最終日の4日には、
小沢健二の講義(配信)も聞いて、

https://spincoaster.com/news/kenji-ozawa-lecture-at-the-university-of-tokyo-auditorium-900


小沢くん言うところの「情報イナフ」(もう要らない)だとか(基本マーケティングが隠されているのが問題だよね)
「科学者は訊いたことに、肝心なことに答えてくれない」など、めちゃくちゃ情報量の詰まった講義で買ってよかったー。
(実はまだ途中までしか聞けていませんが)




糖尿病や生活習慣病のことだとか、独自に私人健康指導をしたりだとか、言わんでもいい、やらんでもいいことばっかな自分だけど、こんな変なオッサンがいてもいいよね!って思えて、どちらも偶然聴けたことのよろこびを感じたりした。

薄々と、でも最早はっきりとわかるのは、ウクライナでもガザ地区のことでもそうだけど(戦争と災害の違いはあるけれど)他人事になっちゃうっていうのは、結局は「距離」の問題なのだろうか(としか言えない…)


此の世の、如何なる酸鼻であろうと許容する覚悟がなければ、風狂の徒は「四時を友」とする事が出来ない。あらゆる醜い想念や憎悪をも、厭わず我が心の動きとして眺めなければ、「見るところ花にあらずといふことなし。思ふところ月にあらずといふことなし」と断言できない。愚劣で、無意味な生存を肯定するからこそ、「野ざらし」に決着する運命を、甘美な人生として味わう。
(福田和也『甘美な人生』ちくま学芸文庫 より)


人間の作った建物は、絶えずメンテナンスしなければ瞬く間に廃屋となり、あっという間に植物に呑み込まれる。植物たちは、虎視眈々とこちらが息切れするのを待っているのである(中略)

人間の存在も自然の一部だと言うが、本当にそうなのか。我々が自然の一部なら、なぜこんなにも延々と自然を相手に闘い続けなければならないのだろうか。台風、地震、津波、洪水、豪雪、豪雨、噴火、ウィルス、疫病などの災厄のみならず(中略)

多くの生き物は、ただ本能に従って生きている。植物などは、移動する必要すらない。人間の本能だけが壊れてしまい、そのため人間は、自分たちの在り方を未来に向けて絶えず更新していかなければならないという重荷を負った。実に大変な手間と労力を要する生き方である。

(吉村萬壱『うつぼのひとりごと』亜紀書房より引用)


その後たまたま手に取った、吉村萬壱さんの文章が、今回の地震の映像を見て感じたことだなと気づかされた。それは、そこが山沿いや海沿いじゃなく平野だろうが、土を固めようがしょせんは軟らかい「土の上」に過ぎないってことだ。


天国フェチ👼のわたしに、
あのちゃんから最高のお年玉🧧貰った♪
(それ貼って終わります🐱)


最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。

改めまして、
皆様のご健康とご多幸を、
心よりお祈り申し上げます。

今年もどうぞ、
よろしくお願いいたします。

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