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[ワレ想う故の90年代]vol.02

1994――恋の訪れとドーナッツ
澄み切った空を見ると、外へ出かけたくなった。
左利きの偉大なミュージシャンが死んだことを新聞で知った。
涙は出なかったけれど、僕の心が軋むような圧力を感じた。

ある土曜日、寄宿舎から駅の方へ向かう道すがら。
あの頃は、スマホがない時代だったから、歩く時は決まってポケットに手を突っ込んでいた。もちろん目線は鼻から上が当たり前で、いろいろな景色を見ているような見ていないような、まるで鳥の目のように俯瞰して、人の世界を見ていたのだろう。でも、記憶はそこまで定かではなかった。
耳につけたイアホンから爆音で漏れる、ニルヴァーナを聴きながら、ドラッグってそんなにいいものなのか考えた。
でも全然わからなくて、早々に諦めるけれど、ドラッグと死がどうして結びつくのかまた時を置くと考えてしまう。
そんな無意味なことを考える午前中。脳を刺激するギターノイズに酔いしれながら、先輩に教えてもらったこの曲のコード進行を頭で反芻する。

自分の住む男子寮から近くの女子寮の脇の通りを歩いていると、道の真ん中にポツンと、頭上に広がる青く澄んだ空の色を垂らしたような色のワンピースを着た女の子がいた。
あまりにもきれいな空色だったのを今でも覚えてる。
誇張でもなく、大げさでもなく、僕にはなんだかそこだけ触れてはいけない領域のように思えた。歩きながら、横目で見続けてしまった。
すると、カート・コバーンが「レイプミー」としゃがれた声でささやいていた。
僕はバカだったけど、そのくらいの言葉の意味はわかったから、誰にも聞こえていないのに顔を真っ赤にして、はずかしくなりイヤホンを外した。
彼女は、髪を後ろで束ね、華奢な体で大きな荷物を運んでいた。何をしていたのかまったく理解不能だったが、その可憐な動作は、今まで僕が見てきた女性の中で抜群に美しく見えた。

中学3年。
そんなこんなで「この人」を好きだと記憶に書き込んだ。
恋のようなものはそれまでもしたんだろうけど、自分の意思で記憶に書き込むのは初めてだった。
だからお祝いに、駅前のミスタードーナツでエンゼルフレンチをご馳走してあげた。生クリームがはみ出たけれど、すごくおいしかった。
カバンからCDケースを取り出し、ジェフバックリーの新譜を聴いた。
ハレルヤって曲がその瞬間に本当に馴染んだ。

帰り道。
ミスタードーナツの横の本屋ブックスジェイで買ったロッキンオンをぶら下げながら歩いている。
君は僕のイヤホンを外してくれた。
風の声を聞けと言わんばかりに。
それは村上春樹の本のタイトルのようなものだ。
無意味なようで味わい深い。歩く時に風の香りは、とてもさわやかだった。たぶん制汗剤なんかより、よっぽどいいに決まってる。

ある晴れた土曜日、僕の心に風穴があいた。
誰も知らない町の片隅で。

Nirvana - Rape Me (Live And Loud, Seattle / 1993)

Jeff Buckley - Hallelujah (from Live in Chicago)

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前回から1990年代の自分を振り返っています。
あの頃ってひどく不便でそれでいてまどろっこしくて。でも自分で動かないと何もできない時代でした。携帯電話もまだ普及していなかったし、パソコンもなんだかよくわからない高価なもの程度の認識で、信じられるのは、自分の目と紙とCD(レコード)でした。
でも根本は決して変わらない。
今よりも直感的で感傷的な自分は、もう今はいないのかな……。


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