[ちょっとしたエッセイ] そして夜が明ける
「いらっしゃいませ」
コンビニに入ると、たまに元気の良い店員さんがあいさつをしてくれる。あまり意識をしているわけではないが、「元気よく、あいさつ」というものが最近のコンビニからはなくなっているような気がしている。僕の年頃の人間にとって、コンビニでのバイトといえば、比較的に簡単で、シフトも結構融通の利く、お手軽なバイト先というイメージがある。だから、あいさつにも意外と力がこもっていたような気がする。しかし、今のコンビニは多様性の集合体になっていて、あらゆることがコンビニでできるようになった。ということは、かなりコンビニのアルバイトも大変になっただろう。設置してある設備を見ても、よい意味で僕の学生時代とはまったく変わってしまった。まったく便利になってしまった。
20代の前半、大学を卒業してしばらくして入った会社は、僕をインターンとして迎えてくれた。憧れだった書籍編集のアシスタントとして潜り込んだ会社だったが、ほとんど無給に近い形で働いていたので、当然生きていくためのお金がなく、家の最寄りの駅前にあるコンビニでまだ暗い4時くらいから9時くらいまで働き、その後会社へ行く生活を何年か送った。
当時のコンビニは、ホットスナックみたいなものも少なく、機械類もコピー機くらいだったので、品出しを除けば本当にかんたんな仕事ばかりだったので、深夜の仕事中は意外と暇で、入ってくる客をよく観察していた。だから自然とあいさつにも力が入った。下町にあるコンビニだったので、ヤンキーみたいな若者や駅前の小さな風俗街からくるキラキラした女性など、一癖もある客へのちょっとした威嚇の意味もあったような気がする。でも、このあいさつだけは好評で、店長にも何度かほめられた。
しかし、平日の深夜というのは、人が訪れない。24時間を時間別で統計を取ったら、深夜の時間帯の行動なんてほとんどが「寝る」時間だろう。ただそれがゼロではないところに、この隙間産業が存在しているわけだが、コンビニとて24時間営業のうち、費用対効果で考えた時、この時間帯のコストパフォーマンスは、きっとよくはないだろうなと思った。
ある日のバイト中、午前4時半を過ぎた頃だった。控え室には、同じシフトの大学生がテレビを見て、廃棄処分の弁当を食べていた。あと1時間もすれば、始発に合わせた客が新聞やら缶コーヒーやらを買いに、ここに来る。蛍光灯のジジジという音だけは、有線で流れる音楽を超えて耳に入ってくる。僕は直立不動で、レジの前でぼーっと立ちながら、さっきのことを考える。平日の深夜帯に営業する意味はあるのだろうか。いや、ないだろうなと思う。でも、こうやって立っているだけでも、1分あたり25円支給される。誰もいない空間で弁当を食べていても、タバコを吸っていてもその25円が1分につき支給されるのだ。社会のシステムに、何をしなくてもお金がもらえる仕組みが存在すると誰が気づいただろうか。少しにやけた。すると、外に轟音に似たやかましい音が聞こえた。トラックが道につけた音だった。僕と同僚は、その音を聞くと慌てて店内からダンボールの束を運ぶ。運転席から降りてたきた40歳前後あたりの男は、降り立つと胸のポケットからタバコを取り出して、火をつけた。おいしそうにスーッとひと吸いすると、空に向かって煙を吹きつけた。
「おつかれさまです」と僕が声をかけると、「おう、相変わらず元気だね」と言いながら、タバコを咥える。彼の口から吹き出された煙は、朝焼けにかかり、青なのか、白なのか、オレンジなのか、ピンクなのか、不思議な色が空に広がった。僕と同僚はその煙を見ながら、「おお」と言った。すると、彼も「きれいだなぁ」と空を見て言った。「ですねぇ」と、めずらしく同僚も声を出した。この世界の美しさの結晶のようで、こんな空があったことに驚いた。なんでもないただの日で、この日がいつのいつだったかなんて、思い返してもわからない。でもこの3人で見た朝の空は、今も僕の頭に焼きついている。
「さて、次の現場行くか」男はそう言って、トラックの座席へ飛び乗った。
「おつかさまっす」僕らはそう言って、少し頭を垂れた。静かな道にやかましい音をたててトラックは先を急いだ。
毎日を生きていると、昨日のことすら忘れて生きてしまう。あの日もそんな風に過ぎ去った何気ない日だったはずだけど、どんな理由で覚えているのかわからないが、きっと、何もかもが不安で、がむしゃらだった当時の心境が、あの夜が明けた風景とリンクしたからだろう。朝も夜もないあの時を思い出すと、なんかんだよくやったなと、ちょっとだけ自分を褒めてあげたくなった。しかし、人生振り返っても、あいさつが元気よくできたのはあの時だけのような気がする。
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