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[ちょっとしたエッセイ] だから愛について語るに足らず

 もう20年くらい前の話だけれど、僕は高円寺で働いていた。

 とは言っても、正社員ではなかったし、アルバイトでもなかった。大学を卒業して、コンビニでバイトをしながら、ふらふらフリーター生活を送っていた最中(あの頃は就職氷河期の末期で、フリーターが多く、またフリーターであることもよしとされていた時代)、あまりに退屈で、たまたま見つけた高円寺の小さな会社の門を叩いた。無理矢理働かせてもらう条件として、インターンという形で体よく働かされたわけであるが、その話はまた別の機会に。

 というわけで、この高円寺での生活を振り返ると、よくない思い出ばかりが頭に並ぶのだけれど(そもそもお金がなかった!)、JR高円寺駅から丸ノ内線新高円寺駅へ向かう土地は、いわゆるサブカル的下町の“高円寺”のイメージとは違い、住宅が並び、静けさがある場所だった。だいたい3年くらい高円寺での生活を送る中で、僕がとぼとぼと歩きながら見てきたこの土地で思い出させるのは、趣しかない人情の街でもあった。

 ひさしぶりの先日高円寺を訪れた際に、新高円寺の方へ歩いた。高南通りを南に歩き、ミニストップが見えたところで、新高円寺通りの方へ向かう。あの頃もこうやって、歩いたなと少しノルタルジーを彷徨う。

 商店街に入ると、ふと記憶が蘇った。よく昼休みになると、この商店街へ出向いていた。なんとなく、社内の人間と一緒にお昼を摂るのが苦手で、時間になるとここへ一目散にやってきていた。

 僕の隠れ家は、この商店街を一本入った路地にある中華料理屋だった。ほぼ毎日のように、逃げるように来ていた。

 昼の時間というのは、どこか生活という時間軸にポッと空いた穴のような時間で、ため息や葛藤を整える。

 記憶の断片をたどりながら、商店街を歩く。意思とは別の感覚が僕を路地へと導いてくれた。喧騒が少し薄らいだこの路地の奥まで来ると、次第に記憶は鮮明になってくる。あの店の前まで来ると、黄色い庇に残る店の名前。しかし、入口は閉じていた。扉に貼られた萎びた紙には、閉店の運びが書かれていたが、雨風にさらされたためか、薄くなってよく読めなかった。

「毎日、飽きないね」

「それ、おやじさんが言うことですか」

 カウンターに運ばれた、キクラゲいっぱいの定食を食べながら特に目を合わせるわけでもなく会話する。

 たまに奥さんがやってきて、白い歯を出して笑うおやじさんに、歯を出して笑うなと注意する。白い厨房服の胸元からのぞくくたびれたランニングシャツは、肌の色を透かしていた。

 窓から中を覗くと薄暗いながらも、あの頃と変わらない厨房とカウンター。お札のように並んだメニューもまだ貼ってあった。

「仕事楽しいかい?」

 僕が店を訪れるのは、決まってランチタイムの忙しさが終わった2時半くらいで、テレビのワイドショーを見ているおやじさんは、黙々と食べる僕にたまに声をかけてくれた。別に愛想もよくないこんな僕に、「生きてるかい?」と言わんばかりに。

 高円寺は人情の街とは言うけれど、この地で働く程度では、人情を感じることはできない。むしろちょっとした顔見知りくらいでは、気まずくなることも多々ある。今の高円寺は少しそんな色が濃くなっているように感じた。

「もうさ、この店辞めようと思うんだけどね」

 大きな声で笑うおやじさんは、そんなことをよく言った。でもそれは方便で、笑いを誘うきっかけだと僕は思っていた。

 食事が終わって1000円札を差し出すと、決まって細かい10円玉が切れちゃったからと、数十円だけどマケてくれた。

「まだ腹減ってる?」

 いつもの定食を食べていると、たまに新商品を食べさせてくれた。結局、新商品は僕が知る限りメニューに上がらなかった。

 僕は最後まで、いつものキクラゲ定食が好きだった。これに酢をかけて食べることは、おやじさんから学んだ。

 まったくの他人であったけど、僕の1日の屋根に空いたこの時間帯には、いつもこのおやじさんがいた。父親を早くに亡くした僕には、ふと父親ってこんな頼りない感じなのかなと思ったりもした。それでもたかだか1日30分程度のこの空間。僕がこの地を去った時もあっさりとしていた。

「次来る時はもうこの店ないかもね」

 あの時は、また言ってる。そう思って別れた。

 あれから20年ほど経ったけれど、この店が閉店したのつい3年ほど前のようだった。

 仕事というものは、結構窮屈で、意外と退屈であった。愛着はあったけれど、限界も感じた。だからこの地を離れたわけだけど、この店にあった「そこ」に漂う空気は、今でも僕の高円寺を思い出させてくれる。

 さらばとは言わないし、また何かの用事でこの場所はちょくちょく来ると思うだのだけど、JRの高円寺駅の改札は必ず南口に出るだろう。もうこればかりはもう「愛」としか言いようがないのかもしれない。

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