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[ちょっとしたエッセイ]借りてでも浴びたい酒

 先日、会社の同僚や後輩と仕事の後に飲みに行った。日頃からこういった会があるわけではなく、僕が勤めている会社は本当に小規模の会社で、新卒が毎年のように入ってくるわけでもないので、日常における関係性が近すぎるためか、会社の人と「飲みに行くほどでもない」関係になりつつある。酒の席で、あいつがああ言ったとか、そんな噂もすぐに風の便りで自分にも返ってきてしまうので、単に面倒だなと思うのも理由のひとつだ。
 とは言っても、そんな中でも一緒に仕事をする仲間はいるわけで、仕事がひと区切りした段階などでは、「飲みに行こうよ」となる。今回は、そんな流れで、後輩2人と同僚の4人で飲みに行った。小さな会社にいると、たまに自分の立ち位置はわからなくなる時がある。小さな会社では、チームという関係性が希薄だ。結局、スタンドアローンで働くことが多い中で、こういう自分の立ち位置の確認に、とても役立つ。
 昭和、平成と流れて、いや平成の終盤くらいからか、「酒を飲む」ことのコミュニケーションの優先順位がけっきり下がってしまった。しまったとは言ったが、それで良いのだと思う。昔に勤めていた映像の制作会社では、ほぼ毎日クライアントに飲みに誘われて、楽しくもない酒を煽った。何か仕事で無理を言われると、「今度おごるからさ」といった決まり文句で、嫌な仕事もやってきたわけだから、個人的には、仕事の付き合いで酒を飲むことは、あまり気が進まない人生を送ってきた。

 もう20年くらい前に勤めていた会社は、映像制作を主とする会社で、日々多くのクライアントが出入りしていた。あの頃の新宿は、都の条例で、風俗関連の広告がひどく規制されて、駅前の看板やキャッチなどの営業活動が制限された。そんな中で注目されたのが映像広告で、新宿界隈の風俗店は、こぞって映像広告へ活路を広げていった。そんな中、僕が勤めていた制作会社も煽りを受けて忙しい日々を送る。毎日、歌舞伎町のホストクラブやキャバクラへ通い、カメラを回した。そんな風俗店の制作依頼を仲介する、代理店業をする人がいた。赤いシャツに白のジャケット、タイトなレザーパンツ。少し鋭利なデザインの眼鏡。天パの茶髪。関西訛りの、何をどう見てもいかがわしさしかないその風貌の男が、毎日、あっちの店行け、こっちの店行けと指示をしてきた。それでも、彼からの仕事は会社としても大きく、何より風俗店は金払いがよく、ある意味で僕らも生かされていた。
 そんなある日、彼がめずらしく、「この前のCM、えらくクライアントが気に入ってましてね、こりゃ先生のおかげですよ」なんて、言ってきた。だから飲みに行こうなんて誘ってきたので、はじめは断ったのだが、どうしてもというので、僕と同僚2人は、ついていくことにした。
「いやね、僕もこの世界長いんだけど、この世界なんてデジタルにはそっぽ向いてきたから、先生方がいてくれて助かったわけですわ」
 「わ」ってなんだよ、と思いながら、ひとり陽気に話す彼の横で話を聞く。同僚はポケットに手を突っ込んで関係のない方を見ている。案の定、楽しくもない彼の常連のキャバクラに連れて行かれて、渋々酒を飲む。その間も彼は楽しそうに女の子と話をしていた。
「先生、たぶんもうすぐこの世界はおれらを置いてくようなスピードで変化しますよ」
 なんて、カラオケの画面を見ながら彼が急に僕に話し始めた。
「先生よ、あんたはこれからの人だ。だから置いてかれんと思うけどね、おれみたいな老いぼれはしがみつくか、置いてかれるのを黙って見るしかないんですわ」
 だから、「わ」ってなんだよと突っ込みながら、黙って話を聞いていた。
 「じゃあお開きにしますか」と言った彼は、ちょっと待っててと、小走りに店を出た。僕らは置いて行かれるのかと思いつつ、冷や汗をかいていると、彼は戻ってきて会計をしていた。ちょっとホッとしながら、外へ出て別れた。すると同僚は横で、「あの人、さっき消費者金融行ってたらしい」とボソッと言った。
 翌日から彼は、僕らの前から姿を消した。噂を手繰り寄せると、とあるクライアントの金を持ち逃げしたらしかった。うちに入るお金もあったらしく、社長はえらく怒っていた。昨夜、彼は置いて行かれるのを黙って見るしかないとか言いつつ、彼が僕らを置いていった。そんな気分になった。
 それでも、仕事は回り続ける。しかし、この偏ったバブルも、インターネット広告のおかげではじけて、僕の勤める会社も砂の山のように崩れていった。

 飲み会も終わり、帰りの道すがら、酔っ払ったサラリーマン風の男が、外に仲間を待たせて、キャッシングのATMに入っていくのが見えた。後輩が、あれってお金借りてるんですよねと、確かめるように言い、それに対して、僕はうん、たぶん、と答えた。そのサラリーマンの姿にあの時の代理店の彼の姿が重なった。あのなんでもなさそうな夜に、彼は何を思い、僕らを酒に誘ったのだろうか。翌日の彼の行動を思うと、そこまでして飲みたい酒もあるのではないかと思った。だが、残念ながらこの歳になってもそんな夜はまだやってこない。もし君たちがこの先、僕がそんな夜を求めるとしたら、黙ってついてきてくれるだろうか。そんなことを思いながら、終電間際の電車に乗り込んだ。

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