[ちょっとした物語] 軒先の雨宿り
今日はいやな雨の降り方をする。
強く降ったり、弱く降ったり。なんだか動きづらい。蒸し暑く、もう服を着ていることすら鬱陶しくなる。
駅を出ると、雲の切れ目から太陽が顔を覗かせていた。これは幸運だ。今のうちにと濡れた路面を駆ける。
しかし、ふと思った。
「何をそんなに急ぐ必要があるのだろう」
僕らは時に、いつもどおりのことができないと少し焦ってしまう。今もそうだ。雨が少しの間止みそうだから走ってしまおうと。
そんなことを思っていたら、また急激な雨が降り注いできた。
あまりにも不意をつかれた。瞬間的にずぶ濡れになった。仕方がなしに近くにあったシャッターの閉まった商店の軒先に逃げた。
「こりゃだめだな」
何がだめなのだろう。つぶやいた後に思った。とりあえず、濡れた髪と肌をハンカチで拭き、雨の行く末を眺めることとする。
すると、雨のカーテンの中を勢いよく人が、この場所へ駆け込んできた。かわいそうに、ずぶ濡れだ。
僕は、駆け込んできた人をチラッと見た。たぶん中学生くらいの女学生だ。濡れたブラウスに下着が透けているのが見えてしまった。
その背徳感からか、彼女の見えない方へ目をやる。
雨は依然としてその勢いを止めてはくれない。
雨に濡れた肌が乾くと、いつもより水分が失われるような気がする。
体温はいくぶんか下がり、手は乾燥気味になった。持て余した時間のために、かばんから文庫本を取り出して、活字に目をやる。
「雨なんて止まなきゃいいのに」
そう聞こえた。たぶんそう言ったと思う。「雨なんて」と「止まなきゃいいのに」があまりにも不釣合いだったから、一瞬そっちに目が行ってしまった。
この少女の少し太々しい表情が目に浮かんだ。それを声に出せるか出せないかだ。そう思いながら、僕は少女の素直さのため少し笑ってしまった。
軒先で、じっと雨を見続ける少女。
僕は、なんだか他人のようには思えなかった。大人なのに、どこかで気持ちは子どものまま。僕にはそんな陳腐な言葉がぴったりだ。大人になりきれない大人、子どものまま大人になった大人、どれもそうだ。
ふーっとため息がでた。
雨はまだまだ降り続く。
少女はシャッター付近に動き、置いたエナメルバッグの上に腰を下ろした。僕は彼女に不信を与えないように端の方で本を読む。
スマホをいじる少女。濡れた髪が艶やかに見える。
僕は、雨の行方を目で追ってみる。いつかは止むその雨、涙が枯れるまではもう少し降りたい気分なのだろう。地面に打ちつけるその音は、激しく聞こえるが、いつもの雑音よりよっぽどマシだった。
そう回想すると、僕は社会に従順過ぎたのかもしれないと思った。この少女もこの雨も、そんな社会の枠とは無縁のように思えた。それでも悩むことはあるだろう。どんなシーンにおいても、人はその環境に満足はできない生き物なのだ。そんなわがままのような、あきらめのようなことを考えていること自体が幼いんだなと、自分のことながら辟易とした。
どれくらいの時間が経っただろうか。たぶん時計で見れば10分程度のことかもしれないが、この空間の時間軸は、どこかその動きを引き延ばすような作用がある。
見上げる空からはまだ無限の雨粒がこぼれ落ちてくる。この身動きの取れない状況に、やや飽きつつため息が混じる。
「雨、止まないなあ」
独り言のように口に出た。
「本当ですね。止まないですね」
自然と横の少女が同調する。
「雨好き?」
咄嗟に何を言い出すのかと思った。
しかし、これまた自然に少女は返す。
「ええ、結構好きです」
僕らは降り続く雨の行方を見続ける。
何を急ぐわけでもなく、何かに怯えることもなく、軒下の僕らは、ただただ雨が止むのを待っている。さっきまで汗ばんでいた手は、雨に流されて乾燥している。いつも思うが不思議な感覚だ。
いずれ止む雨、そして再開する日常、そんなことはわかっている。ただこの少しの時間は、ゆっくりとマーブル模様に広がっている。なんの準備も必要ない。なんの心構えも不要だ。そして僕らは、また何もなかったかのように、一歩を踏み出すのである。
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自分の投稿を見ていると、雨にまつわる写真がヘッダーを飾ることが多いことに気づいた。今年の梅雨は長い。そんな心象風景の表れだろうか。
それでも止まない雨はない。そんな自然の摂理を日常に落とし込むことに少し抵抗を持っている。でも、それはグラデーションのようにいつしか溶け込んでいる。だから思いを新たに一歩踏み出す必要はない。前に体を倒せば足は前に出るのと同じで、ごく当たり前のことのように前へ進むのだ。
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