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[ちょっとしたエッセイ]世界の片隅でもやっぱり孤独だった

 先日ニュースを見ていたら、東京での若者の孤独死が、この3年間で700名を超えたという話題を目にした。老年層の孤独死が増えてるいるのは前々から問題となっていたが、若年層においても孤独死が増えていることに、なんだか居た堪れなくなった。背景には、社会との接点や関係を断ち、生活能力や意欲を失ってセルフネグレクトに陥っているということがあるらしい。これだけ人がいる場所で、そんな事実があることにどこか驚くとともに、なんだか人ごとでもないなというのが、感想だった。友人や家族がいても、どこか孤独感が拭えないのはどうしてだろう。死に至らなくとも、やはり1日のうちに自分は孤独だとないう瞬間がしばしばある。でも、なんらかの関わりで生きながらえているのも事実で、そういう意味では、恵まれているのかもしれない。今現在、自分をまったくの白紙にした状態で、見知らぬ土地で生きるのならば、果たしてどうなっていただろうか。

 20代の半ば、僕は何度も東南アジアを中心とした地域を一人で旅をした。目的はなく、ただ見知らぬ場所で、誰にも干渉されずにいたいという若気の至りのような願望だけの旅だった。でも、結局場所を変えたところで、自分自身は変わらない。安宿に入り浸り、コンビニでビールを買ってぶらぶら時間だけをすりつぶしていると、段々自分のやっていることに辟易としてくる。すると、誰にも干渉されたくないと思っていても、徐々に襲ってくる孤独感を前に、やはり自分は弱いということに気づき始める。時折、近くの国や地域へ移動しても、楽しいけれど、どこかさびしさが心に残留していく。一人の旅というのは、やはり限界があったのかもしれない。
 バンコクに滞在していたある日、宿の共有スペースのベンチに座って、ビールを飲んでいると、一人の女性がやってきて、ベンチに座った。
「日本人ですか?」
 いきなり普通に日本語で尋ねてきた。
「え、はい」
 こんな場所に女性一人で泊まっているのかと尋ねると、「そうだ」と言った。その日はそれで別れたのだが、そこから毎晩このベンチでビールを持ち寄りながら、お互いの旅の話をした。彼女は、僕と同様にたまにこの宿を離れ、どこか他の国や地域に行っては、また戻ってくる。何日かに一度会えば、どこへ行っただの、あれが面白かっただの、話をした。バンコクは、東南アジアを旅した人ならわかるかもしれないが、南はマレーシア、シンガポール、東は、カンボジア、北はラオスやミャンマー、飛行機も周辺国へはほとんどアクセスでき、利便性の良い拠点とするにはベストな都市である。
 ある日、なんで一人で旅をしているのかを尋ねると、詳しくは教えてくれなかった。この辺りから、彼女の様子が少しおかしくなってきたような気がした。またある日、何度も会っているのだからと、名前を聞こうとしたら、怪訝そうな表情を浮かべて断られた。この時に、僕は彼女から離れるべきだったのかもしれない。しかし、翌日、彼女は死にそうな顔をしてベンチに座っていた。声をかるとも、「ちょっと死にそう」とだけ言って、表情は虚ろ。明らかに体調が悪そうだった。僕は心配になり、毎食、彼女の部屋の前に、水とちょっとした果物を置くようにした。2〜3日して、ベンチでいつものようにビールを飲んでいると、突然彼女がやってきた。その姿は、明らかに出発を前にした出立ちだった。
「あの、私、あなたに気がないし、勘違いしないでもらえますか」とだけ言って、僕の前から逃げるようにして行ってしまった。想像だにしていなかった展開に僕は呆気に取られ、あいさつもできず彼女は去って行った。
 お互いにひとりで異国にいることの不安は、なんとなくわかっていた(つもり)だった。言葉もわからないから医者にもかかれないし、頼る人がいない時…云々。自分の心の中で、彼女にしたことの理由を並べてみた。その結果を前に、そんな理由は無力で無意味で、ただただダサかった。結局、誰にも干渉されたくないから日本を出てきたのに、誰かに干渉して、後悔する羽目になった。人間は勝手で、理不尽だ。たぶん、彼女も、僕と同じように誰にも干渉されたくなかったから旅をしていたのだろう。ただ、僕らは弱い。純粋な孤独を前にすると、明らかに弱ってしまう。そこで僕らは出会ってしまったような気がする。ただ、その感情の波が、噛み合わなかっただけと思い、反省するしかなかった。ひっそりとした世界の片隅であっても、待っているのは孤独なのかと、少し悲しい気持ちになる。結局、孤独からは逃れられない、そんな気がした。

 日々生きている中で感じる孤独は、人間ひとりの抱える感情の中に必ず存在するものなんだと思う。日頃から、関わられると、鬱陶しくなり、無関心にされると、さびしくなる。そんな人間の身勝手さが生み出す感情なのではないか。なんて思うのだけど、本当の孤独は、僕なんかが想像するより、きっともっと怖い感覚なんだろう。改めて、冒頭のニュースのことを思うと今ある社会問題の一端のおそろしさを感じざるを得ない。
「あの、私、あなたに気がないし、勘違いしないでもらえますか」
 あの時、あの彼女に言われたひと言は、なぜかいまだに思い出すと心が痛むが、日頃感じる小さな孤独なんて、彼女が言うように勘違いだと信じて、見て見ぬ振りなんかしながら、この先もなんとか生き延びようと思っている。

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