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[ちょっとしたエッセイ]メコンで泳ぐ、いつまでも

 「今年は例年になく猛暑だった」と、方々のメディアで取り上げられ、確かに気温も数字として高くて、いつも以上に暑かったのだと思わせられる2023年の夏だった。ジリつく暑さは、暑いといった感情よりも、息苦しいとかそういった類の苦しさに近いもので、サウナの中にいるような(そんなにスッキリするようなものでもないが)、我慢を糧に生きるような日々だったように感じる。世界の人口は80億人を超え、僕が記憶している世界の人口の2倍近くになってきた。そして、地球の温暖化といった、環境問題の最中に、年々地球全体の温度は上昇し、日常生活に、例えではない「息苦しさ」を感じるようになった。この11月になっても、今日日25度を超えるとは、日本元来の四季なんてものはあったものではないなと思う。
 ただ、思い返してみれば、日本に生まれ日本に育ったわけだが、常夏なんていう死語を何度口にしただろう。うちの親世代は、1ドル365円の時代を経験し、バブル時代を生きてきたので、ハワイに憧れ、(でもそこまで稼いでいたわけでもないので)サイパンやグアムに行ったなんてことを聞いた。母親の家は、小金持ちだったみたいで、高校生の時にハワイに行ったことがあるらしい。でも両人ともに、常夏への憧れは、やはり未だに強いようだ。自分のことで言えば、1年中あたたかいところは、羨望の的でもある。温暖化、温暖化とはいえ、暑かった2023年の夏の名残もこの10日あたりで一変し、冬を思わせる温度へと変化し、僕自身も毎日セーターを着て、カイロを持つようになった。やはり日本の冬は寒いらしい。

 暖かな地への憧れは、たぶん潜在的なところでも生き続けていたのかもしれない。最近は、散歩程度のフラフラはあるものの、フラフラと遠方へ出かけることはめっきり減ってしまった。本当にフラフラしていた時期が20代半ばにあった。
 当時勤めていた会社を辞めた僕は、あまりに毎日やることがなく、ある日リュックを背負って成田に向かった。ひとまず行きと帰りの航空券だけを購入して、一路バンコク向かった。特に理由はなく、暖かいところへ行けばなんとか不安な気持ちが抑えられるのではないか、ということだけだった。仕事がなくなった不安、1人でいることの不安、当時身に集めた不安が噴出した結果だったのかもしれない。そして、何より航空券が安い場所だった。安宿に居座り、毎晩バーでビールを飲む。そんな生活を送っていると、すぐに退屈と不安の波が寄せてきた。不安から逃げてきたのに、やっぱりここも安全ではないのかと。そうやって僕はラオスに流れ着いた。
 朝霧のかかったメコン川を渡る。タイから陸路でたどり着くと、このメコン川を渡ることになる。霧に包まれて全容が見えないこの大河は、どこか不安と同じような匂いがした。
 バスはゆっくりと川を渡る。僕は目をこらしながら、川を見つめる。すると、河川敷で遊ぶ子どもたちが見えた。
 川辺に近いホテルに到着し、荷を下ろして、あたりを散策する。人はいるが、みな動いていない。ベンチに寝そべったり、上半身裸で、椅子に座る。平日の昼間なのに忙しく動いている人がいないのだ。さすがにバンコクでも何もしていない人はいたが、それ以上に働く人、動き回っている人がいた。しかしここにはいない。お店をやっていようが、関係ない。みんな暇そうに眠そうにしている。すべてがスローモーションのように流れていた。
 メコン川に沿った河川敷まで歩くと、人の数も増え、なんだか賑やかな空気が漂ってきた。屋台でビールを買って夕べのベンチに腰を下ろした。眼下に広がる河川敷では、音楽を流してエアロビクスをする婦人。川で戯れる子ども。ボードゲームに勤しむ紳士。みながみな、ただ笑顔で過ごしている。

 すると、僕の座るベンチに、1人の紳士が座った。
「日本人?」と声をかけてきた。
「イエス。あ、はい」と答えると、僕の肩をバンバンと叩いて笑った。
「ツーリズム? 旅行?」
 日本語に英語を加えて、僕が日本人であるのを今一度確かめるように話す。
「はい」と答えると、ようやく片言ではあるが、日本語で話し始めた。
「日本人、顔暗い。笑う。いいよ」
 その言葉に、僕はひきつったような笑顔を見せる。
「ほら、暗い」「何かこわい?」紳士は続けて話す。
 僕は、考えてみた。何が怖いんだろうか。不安はさまざまあるけれど、何に恐れているのかちょっとわからないような気がした。考えるのを諦めて、ため息をついてお手上げのジェスチャーを紳士に見せた。
「ກຳຂີ້ດີກວ່າກຳຕົດ」
 何を言っているのかわからなかったので、手持ちのノートに書いてもらった。ラオス語に親しみのない僕はやはりそれも読めなかった。しかし、紳士は笑って、「泳ぐ、いいよ」そう言って、僕を川の方へ連れて行く。子どもたちは僕を見て、川辺から水をかけてくる。その瞬間、なんだか感情が溢れてきた。水温はぬるく、決してきれいとは言えない川で、僕はひたすら泳いだ。子どもたちに水をかけたり、ビニールボールを投げ合ったり。こっちの人は不安などないのだろうか。そんなことを川に浮きながら考えたが、そんな考えなんて意味がないと思った。不安なんてないわけない。ただどう付き合うかなんだと思う。

 その後、紳士に書いてもらったメモをラオス語のわかる人に解読してもらったら、「カムキーディークワーカムトット」という言葉らしかった。ことわざのような言葉で意味としては、実態のないものに捉われるより、実態のあるものを信じろということらしい。ラオス人の不安との付き合い方の一端が見えた気がした。

 川から疲れ果てて出た時に、紳士はもういなかった。浜辺に置かれた服を着てホテルに帰ろうとしたら、ポケットに入っていたはずの財布はなくなっていた。実態のあるお金を信じた紳士、紳士の見えない言葉に励まされた僕。すべては、そうやって成り立っているのかもしれない。常夏の思い出は、今も僕の心をあたたかく照らしている。


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