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[ちょっとしたエッセイ] エスカレーター・ラブレター

 夕方に外で打ち合わせがあったので、今日はこのまま会社に戻らず、仕事を終えることにした。最寄駅についたのは午後5時過ぎ。このまま家に帰るのは少しもったいない気がして、駅中にあるファストフード店でコーヒーでも飲むことにした。夕方なのにも関わらず、外の気温は30度を越している。季節のスイッチが壊れているような、初夏の一日。夏はこれからなのに、すでの残暑のような厳しさが背中から押し寄せていた。冷房の効いたこの店は、そんな灼熱の世界から逃れてきた僕にとって、椅子の硬さややかましい店内の様子なんかが気にならないほど、居心地がよかった。
 席から見える店の外には、ちょうどエスカレーターの中腹が見え、人が登ったり降りたりしている。そんな夕方の人々を観察していると、大きなボストンバッグのようなものを抱えた学生の一群がエスカレーターから登ってきた。狭いエスカレーターに列をなすその学生たちの一群は、前を向いたり、後ろを向いたり、表情はみな楽しそうだ。しかし、最後尾にいる男の子は、前の人とは少し距離を置いて立っている。仲間はずれのような、そんな立ち位置に僕はなんとなく気になって見ていた。すると、反対側からは、女子高生の一群が降りてくる。こちらもまた負けず劣らずに楽しそうな表情で話している。しかし、こちらの集団の最後尾には、同じ制服を着ている女の子が、前の子とは2、3段距離を置いて1人で立っている。エスカレーターは、女子と男子の一群が交差して、ゆっくりと進んでいく。ぼーっとその様子を見ていると、最後尾にいる男の子と女の子がすれ違うその瞬間、目を合わせて、何かを渡しているのを目撃した。「ん?」と思って、もう一度確かめるように見たが、すでに何事もなかったかのように、彼らは仲間の列に消えていた。そんな一瞬の出来事に、あの2人はどんな関係なのかなと思いを巡らせていた。
 はじめて好意を持つ女の子と親しい関係になったは、たぶん16歳の頃だろうか。あの頃のことは、不思議と覚えていて(都合のいい記憶かもしれないけど)、ひとりの女の子と学校の帰りに喫茶店に行ったり、本屋やレコード店に行ったりしていた。外で会うその子は、いつも笑顔で楽しいのだが、なぜか学校ではほとんど話すことがなかった。
 ある日の放課後、その彼女と本屋に行った。当時の僕はあまり本を読む習慣がなかったので、彼女の後ろにくっついて書棚を眺めていた。彼女がどんな本に興味があるのか、無知の自分には皆目見当がつかなかった。少し飽きつつも、書棚に並ぶ背表紙をだらだらと見ながら歩いていると、書棚の先頭に平積みされた、真っ赤な表紙が目についた。真横には真緑の表紙の本が積んである。夏のとある日、なんともクリスマスな色彩に、少し笑ってしまった。すると、前を歩く彼女が振り向いて、どうしたの?と声をかけた。「これクリスマスだね」と答えると、「これいいよ」と彼女は言った。当時もそうだし、今もそうだが、名作を知らずに生きていることがある。この時の僕はまさにそれで、その真っ赤な表紙、真緑の表紙は、言わずと知れた、村上春樹の『ノルウェーの森』だった。タイトルを読んでも、ビートルズしか出てこない僕は、村上春樹もよく知らなければ、この本がどれだけの人を魅了しているのもまったく知らなかった。たぶん、彼女がいなければ、読まずに大人になっていたかもしれない。読めるかどうか自信がなかったが、彼女の一言で、買う心を決めた。いざレジに持っていくと、なんとも恥ずかしい話だが、財布の中のお金が足りない。後ろからひょこっと出てきた彼女が、おののく僕の肩をたたき、「いくら足りない?」と言って、不足分を出してくれた。頭を上げることなく、店を出ると彼女は「今度でいいから」とだけ言ってくれた。そこから、期末試験だったり、部活だったりがあり、お互いにそれぞれの生活時間がずれていった。そのため、しばらく彼女と出かけることもなく、会うこともなかった。学校内ですれ違ったりすることもあったが、やはりなぜか声をかけあうこともなく、ただ時間だけが過ぎていた。僕はいつでも上着のポケットに彼女へ返すお金を封筒に入れ、忍ばせていたが、ずっと入ったままだった。
 ある日、学校の避難訓練があった。クラスごとに割り当てられた昇降口へ、各クラスが整列して構内から出ていく。僕の教室は西側にあったのだが、なぜか西の昇降口から出るのではなく中央の昇降口から出るという、なぞのルールがありクラス全員訓練中も文句が飛び交っていた。学校の避難訓練なんていうものは、危機感の認識以上に、つまらない授業の合間のアトラクション程度でしかない。ブーブー文句と雑談の列に並んで、西の昇降口へ向かう階段を通り過ぎ、中央の階段へ向かう。すると、西の階段から、彼女のいるクラスがひとつ上の階から降りてくるところが見えた。「はっ」と思い、上着の内ポケットに入った封筒を確認して、彼女の姿が見えるまで、僕はクラスの列の後方へと移動しながら、彼女が来るのを待っていた。クラスの最後尾に見える彼女、僕もクラスの最後尾になっていた。すれ違う時、僕は、「ねえ」と言って彼女の肩を叩き、気づくと同時に封筒を手渡して、クラスの列に戻った。
 ものの数秒の出来事だ。彼女のきょとんとした表情を今も覚えている。その後、夏休みに入ってしまったり、なんだかんだ会う機会も失い、そのまま僕らはなんとなしに会うこともなくなってしまった。携帯もない時代だから、ちょっとした機会損失は人と人との付き合いも自然に解消していくし、そもそも彼女が僕にそこまで興味を持っていなかったのかもしれない。でも、男同士のように趣味を語り合ったりができる女性は、あの時分において本当に貴重であったことは間違いない。

 エスカレーターですれ違うようなロマンチックさはないけれど、偶然のすれ違いに僕はひとつ、持ってきてしまいそうな後悔を置いてくることができた。制服を着たあの高校生たちの姿を見ると、不思議と自分の高校時代を懐古してしまう。それだけ、今に比べると楽しいことや心を掴まれ出来事が多かったのだろう。40代も半ばとなり、あらゆることが打算的になってきた今に比べると、偶然の機会によく後悔しない行動が選べたものだと、ひとり感心する(昔のことなのに)。情けないことにだ。気づけば、アイスコーヒーも空になり、グラスにはいくつもの水滴が流れ落ちている。最後の一口をズズズっと飲み干して、エスカレーターの方を覗いてみると、もう学生たちはおらず、窓越しにでもそこにある静寂が見て取れた。『ノルウェーの森』がどんな物語だったかを頭の隅から引っ張り出しながら、帰宅の途についた。

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