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[ちょっとしたエッセイ] 渡り廊下とルサンチマン

 記憶に残るものは、どんなことがあっても何かの拍子に思い出すことが必ずある。それがどんなに忘れたいことであっても、生きている限りは仕方ないのかなと思ったりもする。
 長かった、夏とも秋とも言えない季節が終わり、ようやく冬の兆しが見えてきた12月のある平日の夕方、家の近所にある学校の脇を歩いていると、学校の裏門と見受けられる場所で、3人の学生が1人の学生にカバンを振り回して当てている光景に出会した。無論、それがいじめの類のものであると疑ったので、近づいてその前を通り過ぎようとすると、彼らは散り散りにいなくなってしまった。こういったものは今だにあるものなのだなと、少しかなしみに似た気持ちで家路についた。
 ちょうど、その年末に旧友と忘年会として久々に飲みに行った。もう30年以上の付き合いになる。僕らは中高一貫校で、寄宿舎での生活もしていたので、朝から晩まで四六時中一緒に生活を共にしたある意味で家族以上のつながりがあるような仲間だ。
 僕らが中高生だった1990年代は、今のようにコンプライアンスなんて言葉はなかったし、いじめ問題はあったことはあったが、結局そんなものは誰かが自死したりすることでしか表には出てこない、そんな時代だった。そんな時代の寄宿舎であるので、当然男同士の生活の中では歪んだ人間関係が存在する。部屋替えが度々行われてたり、中高生がごちゃまぜに生活するので、結構いじめのような展開は想像に易い。

「こないださ、ネットで調べごとしてたら、変な人見つけちゃって」
 そう友人が話した。スマホの画面を僕の方へ向けて見せてくれた。最初はそれが誰なのかわからなかったが、よくよく見ると、だんだんと煙の中から現れるかのように、僕の記憶が甦ってきた。まず記憶の蓋が開いたところから出てきたのは、彼のしなるような蹴りだった。僕が中学1年の頃、寄宿舎の同室だった同級生3人と僕は、2つ上の先輩に毎日のように、いじめというには劣悪な仕打ちを受けた。すべて吐き出せば、もしかしたら出るところに出られるかもしれないが、もう今は令和で、あれから30年以上が経っている。自分から敢えて掘り起こすのも、自分に対して可哀想な気もする。
 ただ、この記憶の一丁目一番地にある、比較的ライトな記憶がこの友人の一言で思い出された。
 寄宿舎のルールの中に、毎日学校へ出かけるまでに部屋をきれいにするといったものがあった。学生が出かけた後に、部屋をチェックされて帰寮すると黒板に各部屋の点数が書かれている。それが学期ごとに集計されて、点数が高い部屋には、賞品としてケーキが贈られる。僕らの部屋は、毎日失点が多く、それがきっかけで2つ上の先輩に最初は説教の形で、部屋の外に呼び出され寄宿舎の本館と別館を渡る、屋根のない渡り廊下で、平手打ちをされたりするようになった。僕らも最初は仕方なく受け入れていたが、毎日のように失点するので、だんだんおかしいなと思い始めてきた。それと同時に、渡り廊下での説教のスタイルもエスカレートしていった。毎日19時になるとタイムスケジュールに勉強する時間があり、舎内の学生はみな部屋に籠る。すると先輩は僕らを渡り廊下に呼び出して、正座をさせ、反省の弁をしゃべらせる。そしてその罰として体の至るところを蹴られた。僕らは雑巾を口に入れさせられ、声を出すことすら禁じられた。ある時は、寒空の元、パンツ一丁でそんなこともさせられた。それでもライトな記憶なので、結構ヘビーなのだが、なんというかそれを「いじめ」というには少し違う気がしている。嫌な思い出であるのは確かなのだが、縦社会の中における主従関係に近いイメージで、どちらかというと「支配」されていた関係なんだなと、今冷静に考えると評価できる。だから、その後部屋が変わり、メンバーが変わるとそれに怯えずに、結構楽しい思い出もたくさんある。そして、その先輩もターゲットを変えていった。ただ、彼のその素行が許させるわけでもないし、僕は絶対に許さない。と、今も心の奥底にその決意は、存在している。そして、その先輩が1番遅くに学校へ出かける際に、わざとゴミを机の上に置いたりしていたのをその後に知った。

 鎌倉の方らしき山の中の古民家で、悠々と楽しいそうに映る写真があった。人の人生は、本当にわからない。何も知らない人がその写真を見たら、誰もが羨み、魅力ある人に映るだろう。それを見て、僕らはあの日の渡り廊下でニヤリと笑って蹴りつけるその人を思い出す。
 無防備の人間に、笑いながら蹴りを入れる人の気持ちは今だに理解できないが、今、あなたにとってあの時の情景は、どのように残っているんでしょうか。いや、もしかしたら残っていないのかもしれない。でも、残っていて欲しいなと切に願う。
 喧騒の中の居酒屋で、一瞬僕らの会話の中に、音のない世界が訪れる。思い出というには、少々傷跡の深い情景を回想しながら、互いに肩を叩き合う。生きることへのある種のエールだ。小さな社会であっても、その構図は大きな社会とさほど変わりない。結構理不尽だ。僕らは、さまざまを耐え忍びながら生きていく、しかないんだな。

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