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実際に自分がされたガスライティングを分析してみた

ガスライティングとは?

「ガスライティング」とは、近年注目されている心理的虐待の手法のことです。
語源は映画「ガス燈」に由来します。
以前こちらに書いたことがありますが、

正直まだまだざっくりとしか理解できていませんでした。
そこで今回はガスライティングの主な定義である「正気を奪われる」「正気を失う」というところにフォーカスして、実際に自分の身に起こったことを再考してみたいと思います。

Aという人物がいます。
具体的な関係性は伏せますが、お世話になっている人物と考えてください。
Aは僕にさんざんモラハラをしてきました。
モラハラ人間の典型で、外面がよく、能力が高く、社会的には立派に見えます。
Aからのモラハラに対してはそれなりに反抗し続けてきました。
ですので、完全に支配されていたわけではありません。
また、最終的に距離を取り、縁を切ることに成功しています。
僕にガスライティングしてきたのは、Aではなく、その手下のBです。
Bは簡単に言うとAの洗脳が完了した人物です。
本当にびっくりするぐらいAの言うことに盲目的に従います。

A、B、僕の関係性にはあるパターンがありました。
僕がAにモラハラされて、可能な限り反抗すると、すぐ後で必ずBがやってきます。
そして、「お前はAさんにお世話になっているのにあんな態度を取って、人間としてどうなの?」と僕の人格に揺さぶりをかけてくるのです。
今考えると、これがガスライティングだったようです。

このBのガスライティングは、結構効きました。
Aのモラハラは、Aという人物から発せられる悪意です。
ですから、そうした悪意の発信源であるAを嫌いになり、軽蔑し、反抗することに矛盾はなく、そうすることに正当な理由を見いだすことも可能です。
一方、Bのガスライティングは攻撃というよりは、あくまで自問自答を誘発するための問いかけです。
なので、Bに対して反抗する意志は即座には生じません。
まだ若かった僕はBの問いかけ(ガスライティング)がきっかけで徐々に自分の人格に対して疑いを持つようになりました。
Aは最低のモラハラ野郎ではありますが、確かにお世話になっていることはなっており、Aがいなければできなかったこともたくさんあります。
そんな僕の負い目をBは狡猾に見抜いていたのでしょう。
そうして何度かBのガスライティングを受けるうちに、僕は自分の人格が破綻しており、お世話になっている人に反抗する最低な人間だと思うようになっていきました。
はっきりとは覚えていませんが、そうした時期は最低でも2~3年ぐらい続いたと思います。
ただ、僕は十代の頃から価値観というものに疑いを持っており、そのため様々な知識を吸収してものごとを多角的に検証するといったことを自然と行ってきました。
その結果、Aのモラハラに気づくことができ、Aに反抗する自分の意志や行為に改めて正当性を見いだし、そんな僕を揺さぶるBのおかしさにも気づくことができました。
そして最終的に自己肯定感を取り戻し、そもそもの元凶はA、その手下として暗躍してきたBも悪い、だから自分は最低な人間ではないと思えるようになりました。
まあ、そこまで到達するのには時間がかかりましたが。
あのままAに反抗せず、手下のBのガスライティングを受け続けていたらどうなっていたかと思うとゾっとします。

Bのガスライティングの目的

僕が読んだ資料などでは、ガスライティングは他人をコントロールしたい人物本人がターゲットに直接仕掛けるものであると説明されていました。
映画「ガス燈」でもそうなっています。
しかし実際僕が受けたのは、手下(B)が支配者(A)のために第三者(僕)に仕掛けるという珍しい構図でした。
ではBの目的は何だったのか?
僕がAへの反抗をやめ、洗脳状態に入ったところで、Bが明らかに得をするという関係性ではありません。
むしろBからすればAの支配対象が一人増えるので、ライバルが増えることになるはずです。
ではなぜBは僕にガスライティングをし、人格を揺さぶってまでAへの恭順を求めたのか?
それは恐らく、Bが自分の受けている洗脳を正当化するためでしょう。
今考えるとそれしか理由が見当たりません。
Bは完全にAに洗脳され、支配されていましたが、とはいえそこに全く疑いを持たないということもなかったはずです。
もしかして自分はおかしいのか?
心から信頼してついてきたAはもしかしたら悪人なのでは?
そんな疑問や不安を抱いたこともあるでしょう。
それを払拭するために、Bは仲間を欲したのではないでしょうか?
自分と同じ境遇の人間がいれば安心できる!そう考え、BはAのターゲットとなっていた僕に目を付け、僕にガスライティングを仕掛け、正気を失わせて自分と同じAの手下にしようとした……
現在ではそう認識しています。