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小川洋子「ことり」レビュー

以前から作者の名前だけは知っていて、何かの動画で本作を解説しているのを観て興味を持ちました。
あと、ノーベル賞候補なんじゃね?という噂もあり、じゃあ読んでおくかと。
その後「博士の愛した数式」の作者だとはじめて知りました。

「博士のー」も面白そうだったんですが、こちらに惹かれたのでポチ。

以下、ネタバレあります。
エンタメ小説じゃないのでネタバレしても作品は堪能できますが、嫌な人は先に作品をお読みください。

ストーリー

通称「小鳥の小父さん」と呼ばれる男性の一生を描いたもの。
前半は障害を持った兄の世話をしつつ、平凡な生活を生きていき、兄が亡くなった後半は徐々に歯車が狂ったようにうまくいかなくなっていく……。
登場人物も少なく、狭い世界のお話なのでついて行けなくなることはないでしょうが、純文学的な平坦さ(驚愕のラストやどんでん返しがない等)に厭きたり、『で、だから何?』と感じる人もいるかもしれません。
あと、キャラクターがおじさんおばさんばっかりで、イケメンも美女も出てきません。
キャラクターで読む人にもきついかも…
平易な作品のようで実は結構純文学読みとしてのレベルが問われる内容。

レビュー

読む前から優しい人が書いた優しい小説なんだろうなーというのはなんとなく分かっていたんですが、ただふわふわして、誰も傷付かない、悪人もいないような作品ならどうしよう……とか、妙にメルヘンチックな文体だったらやだなと懸念していたのですが、読み始めてすぐ安心しました。
文章は比較的平易で読みやすいものの、言葉の選別がとても厳密であることがわかります。
予想通りの優しさもたっぷり含まれていると同時に、文学者としての厳格さも備えていて、純文学としての濃度の高さにワクワクしてきました。

個人的に驚いたのは、小父さんの両親が唐突に死ぬところ。
冒頭から作者は障害のあるお兄さんと弟の通称「小父さん(小鳥の小父さん)」を優しくいたわりながら丁寧に描いていきます。
『ああ、きっとこの作品はこのふたりを大事に大事に育てていく物語なんだろうなあ…』と思っていたら、あるとき唐突に母親が死んだことをものすごくあっさり描写し、その直後に父親も死んで、二人を孤独に落とし込みます。
それを読んで、僕は気を引き締めました。
この作者は優しいだけじゃない、作品のためなら鬼にも悪魔にもなれる、本物の作家だとそこでようやく気づきました。
まあ、当たり前といえば当たり前なんですが、優しげな人となりがそれを隠していたので。
後半にかけても嫌~な人が結構出てきたり、せっかく小父さんに春が訪れかけたのを冷酷に潰したりと、作家特有のサイコパスっぷりを発揮しています。

さて、もっとも気になるのはやはりタイトルの「ことり」。
まあ単純に理解すると、作中何度も「小鳥」が出てくるから「ことり」なんですが、じゃあこの「ことり」が何のメタファーかということです。
普通、文学作品のメタファーってできるだけ絞って絞って、これ!というひとつかせいぜいふたつ程度に抑えるんですが、本作は逆で、メタファーを広げて広げて、誰も全部把握しきれないほど作中にちりばめるという手法を採っています。
こういう作品を読んだのは初めてです。
ざっと挙げただけでも、「ことり」とは愛玩や世話の対象であり、集中、観察、学習の対象であり、ときには芸術でもあり、また被害者や弱者でもあり、人によっては邪魔な存在だったり、さらには「子取り」という犯罪者、変質者でもあったりします。
また、最後の方になると小父さんですら社会という窮屈な鳥かごの中で懸命に生きている「ことり」に見えてきました。
そう考えると我々は全員「ことり」なんでしょう。
こうした、メタファーをどこまでもどこまでも広げていくのが小川流なのでしょうか?

本作を読了したとき、誰もが小父さんの存在意義について気になるでしょう。
いったい小父さんは何のために生きていたのか?
小父さんは幸せだったのか?
お兄さんのお世話をしていた間は間違いなく幸せだったのでしょう。
しかし、お兄さんは亡くなり、その後好きになった書史の女性はすぐに去っていき、小鳥を世話していた幼稚園からは追い出され、後半は怪しげな老人や男性に翻弄され……。
なぜ小川さんは小父さんをこんな風にしてしまうのか?
あんなにお兄さんを大切に世話してきた小父さんになぜ幸福を与えてあげられなかったのか……。
恐らく小川さんもそれについては誰よりも考え、切に願っていたことでしょう。
しかし、小父さんもまた「ことり」であることを考えると、小父さんが生きている鳥かご=日本社会が彼を幸せにするとはどうしても考えられなかったのだと思われます。
無償で幼稚園の鳥小屋を掃除する独身の冴えない高齢男性で、兄は障害者……。
こういう人間を地域社会がどう扱うか、人はどう見るか、誰が近寄ってくるか……
現実的に考えると、やっぱりああなっていくよなとしか思えません。
小川さんも奥歯を噛みしめて小父さんの後半生を書ききったのでしょう。
最後の鳴き合わせ会で小父さんが暴走したのは、きっと小川さん自身が悔しくて悔しくて、せめてもの抵抗にそうさせたような気がします。

その直後小父さんは死ぬのですが、このシーンにも小川さんの覚悟や冷静さがにじみ出ています。
小父さんは鳥かごを抱き、メジロの鳴き声を聞きながら死んでいきます。
このメジロは傷付いていたのを小父さんが拾い、看病し、もう自然に帰してあげるところでした。
普通なら、小父さんがメジロを鳥かごから出し、空に返してあげて小父さんを死なせるでしょう。
そこで全てが綺麗に完成します。
生涯を「ことり」に捧げきった小父さん、最後の最後に大空に羽ばたき、自由を得た「ことり」、どちらの「ことり」も素晴らしい、我々はどちらの「ことり」にもなれるんだ……。
これで皆救われるはずです。
が、
小川さんは最後の最後にメジロを羽ばたかせず、鳥かごの中から出しませんでした。
ここに、本作において無数に存在するメタファーに通徹するイメージが浮かび上がります。
「ことり」とは、弱く、不自由で、囚われた存在だということ。
大空を自由に飛ぶ鳥は「ことり」ではありません。
本作において、メジロは最後まで「ことり」でなければならなかったのです。
だから小川さんもこのメジロを放してやることができなかったのでしょう。
ここに文学者小川洋子の覚悟が現れている気がします。
最後の一行まで主題を貫徹すること、読者の暗黙の期待に微塵も心揺さぶられないこと、それが文学者の資質であり、ある種の義務なのでしょう。
それを見事に成し遂げた小川さんは、現代日本文学屈指の作家だと言えます。
現代文学でここまで感嘆させられた作品はありません。
こりゃ確かにノーベル賞を期待してもおかしくないですね。

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