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宇宙で「ババ抜き」が流行るかも~『宇宙に行くことは地球を知ること』を読みました。~

日本時間16日午前、野口聡一さんたち4人の宇宙飛行士が搭乗する宇宙船「クルードラゴン」が、米・フロリダ州ケネディ宇宙センターから打ち上げられた。(出典:AstroArts「野口さん搭乗のクルードラゴン、打ち上げ成功」(2020年11月22日利用)https://www.astroarts.co.jp/article/hl/a/11638_noguchi)

時代が動いていることを感じたニュースでした。
民間企業がつくったロケットで、宇宙行くことになり、将来的に一般人が宇宙に行ける可能性が高まりました。また、「クルードラゴン」に登場する4人の宇宙飛行士の内一人が日本人であったことも、ココロ踊るトピックでした。

その日本人である野口聡一さんがミュージシャンの矢野顕子さんと対談した本を読みました。その感想と思ったことを綴ります。

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本書の中で、気になる文がありました。

船内ともっとも異なると感じたのは「地球との関係」です。宇宙船の中から見る地球は窓枠の中に納まった「景色」です。~略~でも、宇宙空間に出ると、地球と自分の間には遮るものは何もない。同じ宇宙空間に浮かぶ者同士が一対一で対峙することになります。
地球が放つ輝き。その眩しさに圧倒されながら、僕はずっと緊張感に包まれていました。自分が「死の世界」に包まれていることを直感的に感じていたからです。(p76)
~船外活動で、僕は確かに「命を見た」という実感を得た。この体験を通して、僕の命の見方は明確に変わったと思います。
例えば、「生と死が同時に存在し、明確にその違いがわかる例を出しなさい」といわれたら、ほとんどの人はご臨終の場面を例に出しと思います。一方、僕にとってそれは、「宇宙で地球をみる」という体験でした。(p107)

「命を見た」という表現が気になりました。おそらく、死をはっきり意識できる宇宙空間の中で、たしかに、いのちがみせる変化や輝きをみつけたということでしょう。言い換えると、「死」によって、「生」が輪郭を持ってはっきり意識できたということでしょう。

宇宙に行くことで、「生の輪郭」を意識できると、地球に戻ってきたときに、「生の実感」がさらにはっきりするのでしょうか。
今は、宇宙飛行士にしかわからない感覚ですが、民間人が宇宙に行くことになって、新しい文化が生まれそうだなって思いました。

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文化は宇宙でも発生するものだと思います。もし、宇宙に町があって、人々が生活をしていたら、地味に盛り上がりそうなのは、「ババ抜き」だと思いました。

「クルードラゴン」は操作がタッチパネルで行われたり、船内がインテリアのように意匠が凝らされているます。ある意味、すべてが人工的で整えられている空間です。また、生活様式でも、偶然性が排除されているようにも思います。

ので、「ジョーカー」のような思考をかき乱す存在がもてはやされるのではないかと考えました。それで、トランプのゲームでいえば、「ババ抜き」が真っ先に頭に浮かびました。

宇宙飛行士はトランプのゲームをするのかどうか知らないですが、宇宙でババ抜きをやってみてほしいですね。

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また、宇宙生活で、流行しそうなゲームをあげると、「進化シミュレーションゲーム」だと思います。

地球を外から眺める視点で、生命が発生する環境を整えるなど操作をして、生命が発生し、文明を発達させるゲームです。人口を増やして町をつくるゲームがありますが、そのスケールアップ版です。

どんな設定をしても、人類が文明を持てるのでしょうか。ある意味、地球を育てるという感覚で、ゲームが進行するので、熱中する人がたくさんでそうですね。

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宇宙で生活が続いても、「地球だったら、~」という考えから抜けるのは難しそうです。宇宙という何もないところから、何が生まれるのでしょうか。芸術家が宇宙に行って、インスピレーションを受けることはあるかと思いますが、それは地球との差異から生まれるものでしょう。

宇宙空間でうまれ、育った人は芸術家になれるのか。

人が宇宙で生活できるかどうかがこの問いに詰まっているような気がしました。

本書を読んで、たくさん宇宙のことを想像できました。
とても楽しい読書体験でした。

最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。

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