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1,000年後から見た平成・令和

何度か似たようなものを書いているような気がするが、それほど自分の中で重要なことと捉えているんだろうと思いながら今日も書いていく。

というのも、YouTubeのオススメに「東日本大震災発生当時の映像」が出てきて「あの出来事の当時の映像を気軽に見られるのは間違いなく技術の進歩だな」と感じたのである。実は何もこれが初めてではないのだけれども。見る度に気が引き締まるし、当時の感覚よりももっと恐ろしかったんだなと震える。

そして何より、「当時その映像をアップロードしてくれてありがとう」という感情になる。当時は今ほどYouTubeが浸透していなかっただろうに、利益重視というよりは記録という観点で動画を上げたのかななんて思う。

今はこのように発信する手段が増えたため、昔よりも生の情報がリアルタイムで蓄積されているような気はする(というか間違いなくそうだろう)。
そうすると、未来の人はより多くの"当時の映像"、"当時の記録"を得ることができる。それは喜ばしいことだと思う。

蓄積される情報の種類も、映像やら文字やら写真やら様々なものがあるだろうから、より今の光景を鮮明に思い返せるのではないかと思う。
今の我々では平安時代の生活の節々を想像することができるが、1,000年後に生きる人々が想像できる平成や令和時代のそれはもっと詳しいものだろう。

過去に無いものを今創り出すというのは不可能に近いが、未来に向けた蓄積はいくらでもできると思うと面白い。

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