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30歳の節目にフランスへワーホリに行くことにしました

外を歩きながらふとこれからのことを考えると、自分の置かれている立場がいかに不安定か気づかされます。

でも、一度決めたことだし、この道に進むことが自分の人生だって割り切っていることにも気づきます。
だからもう戻ることは考えないようにしてます。



前回の投稿にも書いたとおり、フランスへワーキングホリデーに行くことにしました!

投稿後、何人かの方から応援のメッセージをいただきました。ありがとうございます。

出発は明後日。いよいよその日が近づいてきました。

今の心境は、とにかく不安。
そわそわして落ち着かないから、YouTubeでひらすらお笑いの動画ばっか見てます。



キッカケは今からちょうど1年前。

空梅雨となり、毎日直射日光が照りつけていた沖縄北部・やんばるで、僕はゲストハウスのボランティアスタッフをしていました。(詳しくはこちら

ある日、スタッフ仲間と一緒に森の中のカフェに行った時のことです。
やんばるの豊かな自然に囲まれ、コーヒー片手にゆったり本を読めるそのカフェは、集中力だけでなくいろんな感覚が研ぎ澄まされたような気がしました。

そこでふと、何かが降ってくるように、これから3年くらいの計画がふつふつと浮かび上がりました。

急いでメモを取ります。
その日は紙もペンも持っていなかったので、口を拭くようの紙ナプキンにお店のアンケート用のボールペンを使って、頭に浮かんだあれこれを記していきます。

そこに挙げられてたのが、フランスへのワーホリ。

ふと思い浮かんだフランスへのワーホリ。このメモを元に、僕は導かれるようにその方向に引き寄せられていきます。



一旦話は逸れて、これまでの2回のフランスへの渡航経験について書いてみます。

初めて訪れたのは大学生の頃。

地理学を専攻していた僕は、観光や街づくりに興味がありました。
学科には海外への実地調査を含んだ授業があり、僕はヨーロッパを縦断しながら観光客にインタビューする講義を受講しました。

大学3年生の夏休み、僕は教授陣に連れられ、授業を受講していたメンバーと一緒に実際にヨーロッパへ向かいました。
イタリア・ミラノから始まった旅は、スイス、フランス、オランダ、フィンランドを経て帰国する2週間のツアーでした。

当時はまだ海外慣れもしていなかったり、外国語を一切話せなかったり、不安だらけでした。
しかし、友達や先生と一緒だったことや、初めてのヨーロッパへの感動から、とても楽しい思い出になりました。

この旅で僕はパリとストラスブールを訪れました。これが初めてのフランスです。

テレビや雑誌で見たパリの街並みがすぐそこにある!
とても興奮しました。

シャンゼリゼ通りを歌いながら歩いたり、ヴェルサイユ宮殿で迷子になったり、わずか数日だったもののとても楽しい滞在でした。

この時思った意外だったこととして、パリの街並みが挙げられます。
とにかく汚い!!

ご存知の方もいると思いますが、「華の都・パリ」の正体は、あちこちにゴミやヘドロが鎮座するような「ゴミの都」です。(失礼)

そこに治安の悪さや物価の高さなどが重なり、パリに対して最低な場所という感覚を覚えました。

え、パリやばくね??

もちろん楽しい思い出も多かったけど、パリの意外な姿を目の当たりにしました。

9年前の自分。凱旋門前のシャルル・ド・ゴール広場にて



2回目は今から2年前の冬。

東欧・ジョージアで長期滞在をしていた僕は日本人の友達3人とフランスへ旅行に出かけました。

ジョージアの首都トビリシからイスタンブール経由でパリまで約2万円。
コロナ後の飛行機代高騰の中、ヨーロッパ内の移動費の安さにとても驚きました。

パリ、モン・サン・ミシェル、再びパリに戻ってからストラスブールへ向かい、ドイツのフランクフルトへ向かうルート。

パリでは、前回行けなかったルーブルやオルセーの美術館群に行けたり、ひとりであてもなくブラブラ歩けたり、充実できました。

初めて行ったモン・サン・ミシェルの幻想的な風景、その玄関口・レンヌのこぢんまりした街並み、ストラスブールの巨大なクリスマスマーケット。

フランスの魅力を堪能した1週間でした。

友達のひとりはフランス語が堪能で、適時翻訳や通訳だけでなく、トラブル対応もしてくれました。
そのおかげもあって、とてもとても楽しい時間を過ごせました。

またいつかフランスに行きたい。
そこからフランスへの憧れが大きくなっていきました。

ちなみにパリの街並みについて、コロナ禍を経て、とても綺麗になってました。
シャンゼリゼ通りもエッフェル塔付近も、裏路地も。
街中にあったゴミやヘドロは一掃され、すっかり華の都の称号を取り戻していました。(主観)

え、めっちゃ良いんだけど!!

2年前の自分。パリのオペラ・ガルニエにて



日本に帰ってから、抱いたフランスへの憧れは徐々に大きくなっていきました。
いつかまた行ってみたいなぁ。

また、それとは別に、ワーキングホリデーについての憧れも大きくなっていました。

ワーホリは31歳までにビザを取得しなければならないという「年齢制限アリ」のアトラクション。
歳を取るにつれてこのリミットを感じるようになり、一度くらい使ってみたいという気持ちが、出てきました。

僕はワーホリはしたことがありませんが、就職で行ったフィリピンと長期で滞在したジョージアの2ヶ国に住んだ経験があります。

ワーホリは若者の海外への登竜門的存在ではありますが、これまで縁がありませんでした。
長期での留学経験もない僕にとっては、ワーホリに行く人たちに憧れの念を持っていたことに気づきます。

フランスへ行きたい。
ワーホリへ行きたい。

だったら、どっちも叶えてしまえばいいのではないか??

これが僕がフランスへワーホリに行く理由です。

ただこれを閃いた時はまだ「いつか行きたい」程度の思いで具体的なスケジュールは決めてませんでした。



昨年の秋、僕は日本に戻り、東京のコンサル会社に就職しました。
しかし、入社してすぐ環境や仕事内容に不満を持つようになってしまいました。

元々一時的な就職のつもりで入社したものの、想像以上に自分に合わず、日々ストレスを抱えるようになっていました。
今後どうしよう。再び人生に悩むようになります。

年が明けて2024年、上海でひとり、ゆっくり年を越した僕はこれからのスケジュールを考えました。

僕は今年の8月で30歳を迎えます。
その節目に嫌な仕事をしたくないなぁ。そんな気持ちが強くなっていき、退職も現実的になってきました。

だったら、いつか行きたいと思っていたフランスへのワーホリにもう行っちゃえばいいんじゃないか?
グズグズしてる自分にもそろそろ嫌気が差していました。

そして、日本に帰ってから、4月の退職とその後の渡航を決め、会社に辞表を提出しました。
決断は案外あっさりしたものでした。
そのくらいもう心の中では決まっていたのかもしれません。

レーシックの手術を受ける予定だったため、渡航は6月にずれたものの、なんとか30歳当日をフランスで過ごす日程にしました。



ワーホリビザの申請はエージェントに頼まず、自ら進めました。
フランスに一緒に行ったフランス語が堪能な友達は、フランスワーホリの経験者だったため、いろいろとサポートしてもらいました。
経験者がそばにいる大きさを実感しました。

インターネットで情報を集め、ビザの申請に必要な1年間の計画書や履歴書などを作成していきます。
フランスは、オーストラリアやカナダのように情報は多くなかったため、不安な点も多かったものの、集められる限りの情報を集めていきました。
(ちなみにフランスにワーホリへ行った人は、調べる限りほぼ全てが女性でした)

3月、有給休暇を取り、東京・広尾のフランス大使館で申請。

どきどきしながら待っていると、数日後、ビザのステッカーが貼られたパスポートが自宅に届きました!
Completed!!



不安は挙げだしたらキリがありません。

お金に関しては、ご存知の通り、日本の円安が猛ダメージ。
ユーロは170円近くを記録するなど、日本人から見てフランスのものは全てが高い!
おまけに物価高の影響で、同じ商品でも数年前より値段が上がっています。

治安に関して、戦闘民族の血は今でも健在です。
普段フランスのニュースを追いかけていない人でも、フランスにデモのイメージを持つ人が多いように、今でも至る所で暴動が起きてます。
アフリカ系の難民も今でも多く流入しており、その影響からか、パリを始めとしたフランス中の治安は悪いままです。

また、今年はパリで夏のオリンピックが開催されます。
オリンピック中は厳戒態勢が敷かれ、治安に関しては幾分マシになるものの、ホテルを中心に物価高が激しくなります。
繁忙期の時期と重なるため、通常時と比較して安くて3倍、高くて10倍以上に跳ね上がっています。

当然慣れてない土地で人脈はゼロです。
仕事が見つかるのか、フランス語を習得できるのか、などなど山ほどの不安が僕を襲っています。



さて、フランスで何をやるのか。

結論から言うと、何も決まってません!!

ビザの申請のための計画書を作成した時、みっちりとやることを決めても良かったのですが、どこか自由を求めている自分がいました。
偶発的なものに喜びを覚えたい。
結局、今になっても何も決めずに、フランスへ向かうことになりました。

とは言え、最初はパリで数日間、そして7月は1ヶ月間リヨンのフランス語学校に通うことにしました。
さすがにちゃんとフランス語を学びたいし、友達が欲しいので、語学学校を頼ることにしました。

その後の予定は完全に未定です。

小売店や飲食店で働きたい気持ちはありますが、今はまだわかりません。
場所もリヨンなのかパリなのか、それとも知らない田舎町なのか。

何もわかりません。



ちなみにフランス語について。
僕は昨年秋から細々とフランス語の勉強をしてきました。
今現在初心者の域からは超えてきたかなという程度まで来ました。

昨年11月に仏検(実用フランス語技能検定試験)の一番下の5級を受験し、無事に合格しました。
また、先日、DELF(フランス語学力資格試験)の一番初級のA1を受験しました。(結果待ち)

リーディングについては、フランス語には英語と近い言葉も多いため一応それなりに読めるようにはなってきました。
しかし、リスニングやスピーキングなどのコミュニケーションはまだまだといったところです。

1ヶ月間の語学学校でどこまでレベルが上がるのでしょうか、、



最近、「出稼ぎ」と称して、円安日本で働くよりも高給を稼げるメリットがあるとワーホリを勧める声が目立ちます。

ただ、オーストラリアなどでは現に売り手市場となり、働き口を探すだけで精一杯。
運良く働くことができても、シフトを削られたり、クビになったりと、思ったほど稼げないという声をよく聞くようになりました。

理想と現実に差があるのが、今のワーホリなのではないか。

フランスは国単体で見れば潤っている方ではあるものの、買い手市場かと言えばそうとも言えない現実があるように見えます。

まして、僕のようにフランス語初級レベルの人に任せられる仕事など一握りだと思います。

苦労するのは目に見えているだけに、ずっしり重い不安が押し寄せます。



上手くいけば1年間滞在したいと思ってます。
ただ、こればかりはやってみないとわからない。

お金が尽きてしまうなら、親に泣いて頼むか、もしくはそれよりも早く日本に帰らねばなりません。

プレッシャーに弱い性格だから、ワーホリに行くことは直接会った人に相談がてら伝えるのみで、SNSなどにはここまで全く話を切り出せませんでした。

フランスに着いてから不安だし、将来を考えても不安だし。
結局自分はこれからずっと不安の道を進んでいかねばならないのか、と落ち込んでいます。

友達から「楽しんで」と言われても笑顔で返せない。
でも行くのを決めたのは紛れもなく自分。

え、サバイバルしに行くんだけど??

そんな僕でも、後から振り返って「やって良かった」って思えることをしたい
これが大きなモチベーション。
だから、フランスに「サバイバル」しに行くのです。



「リスクがあるから」と口だけで言うんじゃなくて、
「リスクに飛びこむ」行動力を示したい。



フランスでなんとかサバイブしてきます。
応援待ってます!

Bon voyage pour moi.
Merci!

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