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たった今この瞬間の生き方について考える

ジョージアに来て一週間が経ちました。徐々にこの生活には慣れてきたけれど、仕事をしていないふわふわした浮遊感は未だに持っています。

毎日、この地で楽しく過ごしていますが、ふと今後どのように生きていくか、といったことで頭を抱える瞬間があります。

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2022年の半分が終わりました。

上半期のフィリピンでの苦労を思い出すと、懐かしい気分になります。哲学者のように毎日部屋にこもり、生き方について思索にふけっていました。

新型コロナウイルス感染症の拡大は、人々の生活を大きく変えて、わたしたちを今までとは違う世界へ運びました。覆水盆に返らず。それは、これまでの勝手が効かない世界でもあり、また計画が無意味になったことを示すことでもあります。

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このコロナ禍で人と関わることが大きく減りました。Zoomなどのオンラインツールで友達と話したことは何度かあるけれど、空気感を共有できないこの感覚に、何かコミュニケーションの大事な部分が欠落している気分になることもあります。

ジョージアに来て以降、久しぶりに多くの人たちと関わってコミュニケーションをとっていく中で、その人柄であったり、生き方や信条みたいなことを知ることができて、とても楽しい日々を送っています。

そういった中で、他人の生き方について知るのがとても好きだと気づきました。

誰一人として同じ人生を歩んでいないし、どんな人だって必ず困難を乗り越えてきた経験があります。成功した経験や失敗をした経験。どれもこれも貴重なものに感じて、どんどんその人の本質に迫りたくなります。

しかし、そういった他人の話を自分と比べてしまうことも多くあります。誰だって優れた点や弱い点があるけれど、その優れた点だけを見て、自分の足りなさを感じてしまいます。

それが自分をネガティブな気持ちに追い込み、世の中生きづらいと感じてしまうことに繋がってしまいます。他人は他人、自分は自分。もう少し考え方を改め、人と比べることなく生きていきたいと思っています。

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昨日、安倍晋三元首相が拳銃で撃たれて亡くなるというショッキングなニュースがありました。人が突然死するニュースを聞くたびに、人生ってあっという間なんだなと感じてしまいます。

僕は今まで、「いつか花が咲くから、その時を待つ」とか「大器晩成型」とか、自分にとって納得のいく瞬間を後ろ倒しにしていることがありました。

でも、もし人生があっという間に終わってしまったら、そういった計画も未達成で終わってしまいます。もちろん計画は大事だけれど、いかに今という瞬間を楽しみ、充実できるか考えていかないと、あっという間に終わる人生をいつまでも我慢や忍耐に費やしてしまいます。

人生の本質に迫る「生きていて楽しい」という感覚ももっともっと感じていけるように過ごしていきたいです。

それが、たった今この瞬間を生きていく上で大切なことだと思うのです。

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