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時間が経つことに褪せていく思い【海外就職への道18】

こんにちは。マニラからお届けします。

今回は前回の続き、コロナ禍でフィリピンに渡航できない中で生まれた感情についてお話しします。

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2021年になり、セブ島留学のために日本を離れてから1年が経っていました。あれから世の中はがらっと変わり、僕の海外就職プランも大きく変わってしまいました。依然フィリピンに渡航できず、実家で粛々と仕事をしていくうちに、自分の中にある海外への思いも少しずつ変化していきました。

海外に飛び出す若者には大きく2つのパターンがあると思います。

まず、その理由に「なんとなく面白そう」とか「やってみたいと思ったから」といったふわっとしたものを挙げ、キャリアという点で合理的な判断はしていない人たち。行き当たりばったりの要素が強くあり、失敗やつらい経験が多くのしかかるリスクがあります。

そしてもう一つは、英語をマスターしてから大学へ進学したり、企業などの駐在員になったり、高等な専門職に就くなどと言った着実なステップアップを図り、安全策を優先させる人たち。準備に時間をかけ、確実な成功をものにしているイメージがあります。

どちらが悪いというものではなく、どちらもメリット・デメリットがあるものだと思います。

僕の選択は前者にあたります。この、リスクがあっても後先考えずにやりたい、という気持ちは最初の勢いがとても大事で、時間が経つにつれていろんなリスクが浮き彫りになっていきます。判断に迷いが生じると徐々に信念は安定思考に変わっていくのではないかと思います。

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さて、コロナ禍でフィリピンに渡航できないまま自宅で1年近く生活していると、一度決断できた海外への思いが徐々に薄まっていく感覚を覚えるようになっていました。このまま家にいれば安全だし、失敗のリスクはありません。また、海外就職という選択肢をやめて大人しく日本企業に今からでも転職しようか、という考えも思い浮かび、大きく気持ちが揺さぶられました。実際、同期の一人はフィリピン渡航を断念し、実績を評価してもらった上で契約社員から日本オフィスの正社員として登用されました。

深く考える日が続きました。会社へは新型コロナウイルスが流行して何もできなかった頃に、日本オフィスで仕事の機会を与えてくれたという恩義があります。なので、自らの海外で働きたいという目標と共に、その恩義を叶えるために、フィリピンに渡航できる時をじっと待ち続けてきました。しかし、その日本オフィスでの立場は、お世辞にも優遇されたものではなく、仕事上は社員と同等の扱いを受けながら、給与や待遇で社員より大きく劣ったもので、現に生活レベルは大きく落ちていました。また、以前のように急に2週間後の渡航を指示されるなど、無茶振りもあったことから、自分の意志を持って動きたい、という思いもありました。

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いろいろな葛藤を生みつつも、世の中の情勢は一向に良くならなく、苛立ちも生まれ始めました。そんな時、僕は新たなアイデアを思いつくのです。

この続きはまた明日。では。

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