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30年生きてみた

拝啓、20歳の僕へ。

あなたは今、日本一高い山、富士山の頂で20歳になる瞬間を迎えましたね。
節目の年に日本で一番高い所に行くなんて、なんとも粋なことをするものです。
その思い出話は、どこへ行っても、どこの国の人にも、なかなかウケが良いですよ。
改めて、その行動力に感服の思いです。

ただ、20歳になったからと言って、その後しばらく何も大人になったと感じない日々が続きます。
徐々にその感覚は違和感や焦燥感につながっていきます。

でも、それが普通です。子供と大人の境界なんて実に曖昧ですから。

富士山の頂上で、あなたは10年後の自分を想起しましたね。
どこで何をしてるんだろう、って。



フランスで仕事もせずに年下の外国人たちに囲まれながら、呑気にお酒飲んでるよ!!


人生思い通りになるなんて大間違い!うまくいかないことばっかり!
そんな中で生きていかなきゃいけないんだよ!!

でも、生きてるだけで尊いの。行動しただけで立派なの。
その意味を少しでもわかってほしいよ。

人によって正義が違うし幸福感も違う。
お金があるから幸せなわけでもないし、お金がないから不幸なわけでもないし。

大人って、答えのない世界で自分なりの答えを見つけ出さなきゃいけないんだよ。

あなたはこれから10年の間に様々なことを経験していきます。
大学を卒業して社会に出て、大きな会社で働き始めます。一見成功したように見えるも、その後挫折したり、会社を辞めて仕事がなくなったり、どん底に突き落とされます。
そして、自分の感覚に従うように、海外就職だのフリーランスだの、目まぐるしい日々を過ごしていきます。

状況が変われば、理想も変わる。
好奇心旺盛だけどわがままな「困ったさん」になります。
覚悟しておいてね。

でもね、ストレスを抱えやすいあなたは、もやもやを外に出すように、いつも足で頭で行動し続けるよ。
責任感の無さは、いつしか短所から長所に変わっていくから。

そんな予想も予測もできない人生を歩んでいくことになるけど、どうか自分を捨てないでほしい。
社会的な立場や周りの目をどうしても気にしちゃう性格だけど、どうか自分の感覚を信じてほしい。

そうすれば、きっと少しは満足できる人生が歩めるようになると思うから。
他人の指標じゃなくて、自分の軸で生きてほしいな。

10年後の今、本当の意味で、自分の理想の生き方がわかってきた気がする。
10年前には辿り着けなかった心の奥底の思いが少しだけ見えてきた気がする。
どう?大人っぽい?

まぁでも、そんな自分に対して、大人にはなりきれてないなってまだ思ってる。
良くも悪くも30歳でも大人になりきれてない子供なんです。

だから、20歳なんて1ミリも焦らずに子供を謳歌すれば良いと思う。
今を楽しむのは、人生を通した課題だよ。

誕生日おめでとう。
楽しい人生を過ごしてね。

10年後の僕より。
敬具


***


30歳になりました。

今の気持ちは、想像以上に落ちついています。
30歳という年齢を受け入れている、というよりも、「30歳でも何歳でも自分は自分」という感覚を持てています。

だから、誕生日当日には感情の変化がありませんでした。



1週間くらい前まではどこかそわそわしてて、「20代のうちにすべきこと」みたいな記事をたくさん読んでいました。
そんな焦る気持ちもnoteにまとめていたくらいです。(こちら
実際記事を読んでも、何も行動していないのですが。

でも、この1週間くらいは一切そういった感覚を持たなくなりました。
もはや少し強気な姿勢です。「20代とか30代とかそんなのどうでもよくね?」

だから、誕生日を迎えた瞬間もその日一日も、特別な感情を抱くことはありませんでした。

29歳の昨日の自分と30歳になった今日の自分はほぼ同じ。
29歳≒30歳 ←これ試験出ます

もちろん誕生日を祝ってくれて嬉しい気持ちはあります。めちゃくちゃ感謝してます。
でも、30歳とか30代とかいった年齢に対して思う気持ちはありませんでした。



僕は小さい頃から、大人に憧れていました。

早くかっこいい大人になりたい。

中学校に入って電車で通学し始めた時、満員電車にも関わらず嬉しさを感じていたくらいです。
早くケータイ持ちたかったし、パソコンも早く使えるようになりたかった。スーツ着たいし、名刺交換したいし、車運転したいし、居酒屋でお酒飲みたいし。

だから、それらを実現できた瞬間はとても嬉しかったものです。

しかし、憧れは叶った瞬間が最高潮で、それ以降は「普通」になってしまいます。
日常には特別感は感じません。

だから、時が経って、子供のときに憧れた理想の大人像を実現できたのに、なぜか満足できない自分がいました。

今思えば、大人への憧れはその一瞬の光景であって、思想や姿勢みたいな感覚的なことではなかったのです。

わかりやすい指標のみに理想の大人像を投影して、実際の中身や生活には一切想像が及んでいませんでした。
まぁ子供相手にそのようなことを言うのは酷ですが。



社会人になってから、僕はしばらく目標どころか、生きがいすらも感じてない日々を過ごしていました。

毎日スーツを着て、電車に乗って、大きなオフィスでパソコンをカタカタして、帰ってから夜はお酒を飲む。

理想の大人になれたのに、今の生活に1ミリも満足できない。ってか、つらい。しんどい。

そもそも小さい頃から、やりたいことが何もなかった。
理想の大人になりたいだけで、あとはなんでも良かった。
でもその理想って、表面上のものでしかなかった。

実際の日常のイメージが全然できていなかったから、僕は理想と現実のギャップに苦しむことになりました。
その後、2年半くらいはもやもやし、結局会社を辞めてしまいます。

最初の会社で働いていた期間は、僕の30年間の人生で最も暗い時期でした。黒歴史と言ってもいいくらい。
もちろん会社に罪はなく、その環境を選んだ自分が原因です。

しかし、その時期に自分のやりたいこと、自分のなりたい姿を真剣に考えたのも事実です。
考えるだけではありません。IT業界に食らいつくようにたくさん勉強したし、社外のコミュニティにたくさん足を運んで多くの社会人と出会いました。

この22歳から25歳という「できたてほやほやの大人」な時期に思い悩んだ経験は、今振り返ると、とても良い時間だったかもしれません。

現実を知り、生き方を考えた。
それが、その後の僕の人生を大きく変えていくきっかけになりました。



25歳の時、僕は会社を辞めて大きく動き始めました。

それは目標の実現。密かにやりたいと思っていた「海外で働く」という目標を叶えたい。
英語ができないことがコンプレックスで、それゆえできないと思い込んでいたこの目標。

いろんな人たちに後押ししてもらい、僕は捨て身で挑戦することにしました。
そして、結果的に成功と挫折の両方を経験します。

フィリピンで英語の勉強をしつつ、現地企業に申し込み、無事採用。しかし、その後にコロナ禍が始まって日本に強制帰国され、仕事も何もないニートになってしまう。

またしんどい期間に逆戻り。
あの成功がなかったかのように、この決断が無駄だったかのように、感じてしまいました。

終わらないどころか悪化していくコロナ禍。
この一連の出来事は人生最大の挫折だったかもしれません。

そこから3ヶ月後、幸いその会社の日本法人に就職でき、日本にいながらリモートでフィリピンの仕事をすることになります。
挫折は杞憂なものでした。

僕はこの時、社会の厳しさや現実を身をもって体感しました。

自分のやりたいことを見つけて実行に移しても、思い通りにはならない。
いや、一瞬思い通りになることはあっても、すべてがうまくいくわけではない。

コロナ禍のような、自分ではどうすることができない事実も時にはあります。

ただ、この事実をどう捉えるかは本人次第です。
ネガティブな時を過ごすか、ポジティブな時を過ごすかは、本人次第です。

僕は挫折を経て感情的にネガティブな期間を過ごしたものの、そこから立ち直り、英語の勉強に多くの時間を割くことができました。

そして、コロナ禍が終わり、無事にフィリピンで働くことができました。

コロナ禍に人生狂わされたけれど、コロナ禍だからこそ得られた感覚があったのも事実です。
うまくいかないからといって諦めない。絶望しない。

振り返って、この25歳から27歳の2年弱の期間は、やはり自分にとって大事な期間だったと思います。



その後、やっと行けたフィリピンで水が合わずに再び挫折を経験し退職。ジョージアに行ったり、フリーランスに挑戦したり、海外を転々としたり、沖縄でボランティアしたり。
結局再び日本で就職するも、すぐに辞めて、今度はフランスに来てしまいました。

27歳以降の怒涛の日々は、「22歳から25歳の悩んでいた期間」「25歳から27歳の行動したもののうまくいかなかった期間」の2つが元になってると思っています。

たくさん悩んで、たくさん勉強して、たくさんしんどい思いをして。
それらを解放するように、思いのままに行動に移していきました。

今でも自分は何かを実現したとは思っていません。立派な大人になったとは思えません。
しかし、この22歳から27歳の下積み(?)期間があったからこそ、今の自分があると思っています。

僕個人が、どういう人間で、どういうことをしたら嬉しいか。
今もなお考えることはあるものの、以前よりも誇れる自分がいることに気づくことがあります。
それってちょっと嬉しいし、成長したなって思える。その瞬間、過去の経験もポジティブなものに映ります。

過去の自分の上に今の自分がある。
これって紛れもない事実ですよね。



20代後半になってから、年下の知り合いが増えてきました。

自分よりも7つも8つも下の人たちが、仕事に人生に頑張ってる姿を見る機会が多くなってきました。
彼らと話していると、人としてリスペクトできることも多く、すごいなぁと心の底から思うことがあります。

とはいえ、人生に悩んでいる人も多くいます。
「若いうちにやっておいたほうが良いことは?」なんて質問もしばしば受けることがあります。

正直そんなのわかんないし、僕も教えてもらいたいくらいです。(だから答えはありませーん!)

でも、そうやって悩む経験が大事なんじゃないかと僕は思います。

答えに一直線に突き進むよりも、いろんなことを考えて、たくさん寄り道しながら、ちょっとずついろんな経験をしていく。
それが自分の人生を形作っていくんじゃないかと思います。

伏線を回収するにも、伏線がないと回収できないもんね。



だから、「20代にやっておくべきこと」みたいなものも、あんまり意味がないんでしょう。
僕はこの1週間で、そんな事実になんとなく気付いたのかもしれません。

誕生日当日に感情は動かなかったのは、それが理由だと思います。
ひとつこの世の本質を受け入れられた気がします。

30歳だからなんなの。30代だからなんなの。

年齢がひとつの指標になるのは事実。同い年の人とは初対面でも距離が近く感じるのは事実。

でも、それってあくまで数字でしかない。
人生ってもっと複雑で曖昧なものだよ。そっちに目を向けようぜ。楽しいよ。

それがこの1週間に起きた気持ちの変化です。
決して、30歳という年齢から逃げているわけではないけど、そんなに考えなくて良いと思えました。

まだまだ大人になりきれないけど、自分の人生少しは誇らしく感じれてるからそこに納得しようと思います。

結局、ありきたりなオチになったけど、それが本質だからしょうがない!!

こんな僕ですが、どうぞこれからもよろしくお願いします。


On n'a qu'une vie. 人生は一度きり!


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