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⑲ 高校野球の経験が支えになってるのかもしれない。(2)


昨日の記事の続きになります。

⒉挫折と劣等感


私が入学して3ヶ月で夏の大会があったので、最初の目標は夏の大会でベンチ入りすることでした。
そしてその目標を達成することができ、嬉しく思っていました。

しかし私は原付バイクくらいでしか走っていなかったのです。
すぐにその横を、同じ学年で同じ外野を守っているフェラーリにあっという間に追い抜かれてしまいました。
そしてフェラーリに乗っている彼はベンチ入りどころかスタメンを勝ち取り、夏の大会でも結果を残しました。


この時は嬉しい気持ちと悔しい気持ちと若干の焦りが混沌としていたと思います。

それから3年生の先輩が、引退し新チームが発足しました。
高校野球では、大会ごとにレギュラーと言われる選手に一桁の背番号が配られます。
「1」が投手、「2」が捕手のようにポジションによって決まっていて、その背番号を勝ち取るために誰しも練習に励みます。

その私も夏の悔しさを励みに、「絶対に一桁の背番号を勝ち取ってやろう」と強く意気込んでいました。

しかし、夏の練習が始まり私は野球を行う上で最も基礎であるキャッチボールがろくにできていませんでした。
前回の記事にも軽く書いたのですが、中学では軟式を使っていたので、高校からの硬式球に慣れなければいけなかったのですが、まだそれができていなくて送球する時にボールがすっぽ抜けてばっかりでした。

なのでそうならないために送球は基本的にワンバウンド送球となってしまい、外野手としては到底試合では使えない状態でした。

この時、ある意味イップスだったのかもしれないですね。
強く投げようとするとすっぽ抜けてしまい、これの繰り返し…。

打撃面ではある程度、練習や試合でも結果を残せていただけに、なかなか思うようにいかなくて悔しかったです。

そしてそのまま秋の大会が始まり、途中出場で出たりはしたものの目標であったスタメンでの出場は1試合も達成できず、この悔しい気持ちを抱えながら同期がレギュラーとして活躍しているのをただただ傍観するしかありませんでした。

自分はできないんだろうと、心の中は劣等感の塊でした。
しかし、その劣等感の中でもどこかで「自分はこんなもんじゃない」とプライドがあるからこそまだまだ諦められませんでした。

そして秋の大会が終わりチームは県大会にすら出場できずに、オフシーズンに突入します。
私は打球を遠くまで飛ばすこと、守備力の向上を必須条件にオフではバットの振り込みや走り込みを行い、練習が終わった後もウエイトトレーニングに取り組んでいました。

野球経験者ならわかると思いますが、冬は走る量も半端ないし、バッティング練習でもバットの先や根っこに当たると手が痛くなるので、冬練は“地獄”だった記憶しかないです笑

でもやるしかなかったのです。
私はとにかく「レギュラー」を勝ち取るために毎日練習していました。

そしてこの頃、野球とは全く関係のないとある出来事が私のに大きく影響を与えるようになります。

それはまた明日の記事で書いていきたいと思います。

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