6/13 「ファンになりたがっている」
深夜に書く。
今日は下北沢トリウッドで「街の上で」を観てきた。
教室よりも狭い映画館で、小金持ちなら買えそうなテレビくらいの大きさのスクリーンで見た。
映画館まで行く道が商店街で、それもよかった。
また何か見に行こう。
寝付きが悪い。
はて、今日は何を書くか。
はて、まあいろいろ思い浮かんではいる。
ファン作りっていいよね。
ファンとリードは違う。
リードになりたい人は少ないけれど、ファンになりたい人は多いと思う。
ファンとは絶対的なものだと思う。
リードというか、その先の利用者は相対的にプロダクトを比較検討して、これの方が便利だから使っているというタイプが多いけれど、
ファンとはその企業のストーリーや価値観に惚れ込んでいるから、類似はあるかもしれないけど比較してどうこうっていうのはないと思う。
そして、なぜなりたがっているか。それは、ファンになればそのプロダクトであり、企業が自分を説明してくれるからだ。
というのは、例えば僕の周りだと、むずい。どうしても人を傷つける例を出してしまう。
要するに、あの歌手を好きということは、あんな人なのかなと想像してもらえるのである。
また、なりたがっている理由に、人は応援することで自我を保つことができるからである。
難しい部分は省くが、人は基本的に応援したいのである。
例えば、私はアイドルが好きである。アイドルを応援することの魅力は、そのアイドルが成長する過程にライブに行くことや、日々情報をチェックすることで参加させてもらっている気がするのである。
つまり、そこには日常の中でそのアイドルを応援する自分が存在するのである。
ここまではいいとして、なぜ自我を「保つ」という書き方をしたかというと、これが現代においてはなかなか難しいからである。
国民全員が正しいと思っていることや、良いと思っていること、例えばいい大学に行き、大手に就職し、家を買うこと。そういった大きな物語が崩壊したため、人は自分の、また自分の周りで小さな物語を構築する必要性があるのである。
ここはまた別で書こうと思う。
参考にしたのは以下の記事
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