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随一の人気を誇る山・北アルプス穂高岳も、じつは神様が守ってくれている

日本の登山者が最も憧れる山として挙げられる山、穂高岳。上高地の河童橋から見上げると実に神々しいこの山には、「穂高見命」という神様が祀られている。

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国内でも有数の人気の山と言えば長野県の上高地。ハイシーズンともなると原宿の竹下通りかと思うほどの人であふれることは皆さんもご存じだろう。
本格的な登山道に入る手前の明神池には信州の古い信仰である穂高神社の奥宮がご鎮座されている。穂高神社とは安曇野市穂高にご鎮座される日本アルプス総鎮守、海陸交通守護の神「穂高見命」を祀る神社だが、その奥宮が明神池のお社にあたる。
ご神体はもちろん背後の穂高岳であり、「穂高見命」の「見」とは「オサメル」意味とされ、穂、高くなる地をオサメた偉人ということで「穂高見」と呼ばれたという説が残っている。その穂高見命を穂高大明神とまつり始めたところから、いつしかご神体である穂高岳を明神岳と称するようになった。

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明神岳とは穂高岳の尊称にして穂高連峰の中心の山として多くの人の信仰の対象になり、江戸時代以前は「上高地」を「神河内(神様のおわす川のほとり)と表現したこともある。ではその祀られている神様「穂高見命」とはどんな神様なのか。古来の修行僧たちが意識し拝むに登った大明神の正体を紐解いてみたい。

神話時代からの物語を今に伝えている穂高見命

「穂高見ノミコト」別名「ウツシヒガナサクノミコト」とも言われ、初代天皇である神武天皇(即位前はカミヤマトイワレヒコノミコト)の叔父にあたるといわれ、神武統制以前、筑紫の国に一大勢力を誇った「ワダツミ」一族がいち早く入植してきたあたりからその存在の話が発生する。
「ワダツミ」とは長崎県の対馬にある「ワダツミ神社」を本宮とする海運の神さまだが、その俗称として「アヅミ」とも呼ばれ、古来、日本海をわたって信州の地に入ってきたと言われている。その際に穂高くある地をオサメたということで「穂高見命」が祀られたのだろうと。
それが明確に何年に、ということはわかっていないが、神武東征以前、ということを素直に受け取ると、神武天皇が九州から東征をし、日本建国を奈良の橿原で行ったのは、紀元前660年とされているで、その前ということになる。となると、時代は縄文時代にさかのぼり、神話時代からの物語を今に伝えていると解釈できる。
その後、2000年程度の歴史的空白期間があるが、おそらく安曇村及び近隣の人々が、勝手に木々を伐採、又、狩猟生活していたことであろう痕跡があり、しかし歴史的には江戸時代に入り、松本藩による樹木伐採が大々的に行われるようになったという。
その際の出荷材料の検査をおこなうときの役人が寝泊まりする宿舎である「徳郷の役人小屋」は1600年代に作られたと言われ、播隆上人による槍ヶ岳開山より100年以上前から山で生きる人が生活を営んでいたことがうかがえる。

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その後、昭和初期にキコリ小屋の一つが旅館に改造され、近代に旅館「明神館」となっていく。その後の遍歴は皆さんもご存じのとおりだが、たった200年前まではこの土地に本当に縁のあるものと、この土地で生計を立てていた人間以外は立ち入る場所ではなかったわけで、しかし近代登山の時代の到来から、今ではこんなに多くの登山者が立ち入り、山の魅力を味わうことが出来るようになったことに感謝しなくてはならないと思っている。
過去、これまで多くの人々を受け入れることのなかった明神岳をはじめとする穂高連峰、もっといえば日本中の山に言えることですが、それでも太古から日本人は山や川、滝や海など大自然そのものとの共生を意識し、ともに生きてきたことは間違いなく、その昔は、「登山」ではなく神や仏を拝むための登りということで「登拝」という概念のもとに山に入ってきたといえる。
これは日本人だからこそ思いを馳せることのできる山とのかかわり方であり、そのDNAレベルでの日本人としてのアドバンテージを最大限に活かして山を楽しむとなると、山頂を踏むピークハントや景観を楽しむといったことの他に、ぜひ、山の神さまに逢いに行く、山の仏様を拝みにいく目的で登る「登拝」を目的のひとつに加えていただけたら嬉しい。

※こちらの記事は、YAMAKEIonlineに掲載していただきました。

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