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両神山の岩稜に、日本創生の祖神様を祀る“ドラゴンロード”の姿を見た――奥秩父・両神山

奥秩父の北端、鋸歯状の岩稜が連なる険し山として知られる両神山。古くから山岳信仰の対象とされ、一般的には神犬信仰で知られるが、龍神信仰の史跡も残る。そして実際に登ってみると、そこはまるで山全体が龍の身体のように見えたのだった――。

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美しい自然と険しく荒々しい岩稜が相対する両神山

春先には山頂一帯にアカヤシオが咲き乱れ、秋には一面の紅葉が特に美しいと言われる――。山中に多くの自然林を残した御山が埼玉県西部・奥秩父に位置する両神山だ。

古来、山岳信仰の霊峰として有名な山であるが、近くの三峰山、武甲山とあわせて秩父三山と称されてきた。霊峰と呼ばれ、その名前に「両神」とつくこの山への想いは必然的に募り、日本神話において神々の両親とされるイザナミ、イザナギを祀ることから両神と呼ぶ説や龍神を祀る山が転じて両神となったなど諸説あるが、いずれも古くからの信仰の山であり、先人達のこの御山への想いを反映しているように思う。

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秩父の大自然が魅せる豊かな花々の世界は、春が始まる3月下旬頃から少しずつ色づき初め、春にはアカヤシオの他にミツバツツジの花も咲き誇る。さらにゴールデンウィークの頃から咲くニリンソウの美しさは問答無用に幻想的であり、この世のものとは思えないほどだ。秩父の山々が紅葉で色づく秋口、展望のよい稜線から望む絶景を楽しむ多くの登山客が訪れるのも頷ける。

しかしこの御山のもう一つの特徴は、その稜線――、まるでノコギリの刃のようなギザギザな尾根や急峻な岩壁が無限に続くのではないかと思えるほど荒々しく迫力のある姿にあるとも言える。

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花々が咲き乱れる美しい世界と、一方では人を寄せ付けないほどの激しい姿といった相反する世界観に、人は自然そのものである神々の存在を見出したのではないだろうか。

両神山を登拝するにはいくつかのルートがある。難易度の高いルートとしては八丁尾根が有名で、ダイナミックな岩壁、無限とも思えてしまう連続する鎖場が出迎えてくれる。

上落合駐車場から登山口に入り、八丁峠まで約50分の急登。八丁峠を過ぎるといよいよ両神山登拝のコアに身を投じることとなる。鎖場が断続的に現れ、足を進ませるにつれ急峻な岩場がこれでもかと姿を見せつけてくる。行蔵峠(行蔵坊ノ頭)、西岳を過ぎ東岳までの登り下りを繰り返すと、ようやく両神山がその姿を見せてくれる。高度感のある鎖場を何度も登り岩壁に張り付き続けるため、手に汗を握る緊張の連続となる山行だ。


他のコースで登るにも、ある程度の鎖場を体験することになる。先に紹介した八丁尾根とは反対のコースで、いわば両神山登拝におけるメインルートとされているのが日向大谷ルートだろう。標高差こそ八丁尾根ルートの倍近くあるがコースタイムはさほど変わらない。

日向大谷登山口から入山し、しばらくは穏やかな山道を進む。途中には観音像が置かれ登拝者の行き来を見守っている。無人の清美小屋を過ぎたあたりから急登、鎖場がようやく姿を現し、その先に山中の両神神社へたどり着くといったいわゆる表参道としての機能を果たしている。

どのコースを通っても、山頂付近は荒々しい岩場を進むことになる。

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八丁尾根ルート、日向大谷ルートともに片道3時間程度の山行となるのに対し、最後に紹介する白井差新道ルートは最短距離で片道2時間強で両神山を目指す初心者にもやさしいルートだ。しかしある程度整備をされた登山道は私有地であるため、事前に地権者への電話予約が必要なので注意したいところだ。

神犬信仰と共に残る、龍神信仰の姿を登拝道に見る


今では様々なルートが待ち構える両神山だが、その信仰の源泉を探ると第12代天皇陛下である景行天皇の子である日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東征神話に端を発する。これは秩父山塊における共通する信仰形態ともいえる。

三峰山や御嶽山と同様に、日本武尊が東征の折りに神犬(日本狼とされる)の導きにより両神の山に立ち入ったことからもたらされ、その際にイザナミ、イザナギの二柱を祀ったのが両神神社建立のいわれとされている。

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社殿は山頂の剣ヶ峰に奥宮、そこから南方の尾根に本社、麓の日向大谷に里宮が鎮座している。特に江戸時代には山岳修験の格好の行場として修験者の姿が多くみられたようだ。

表参道とされる日向大谷の里宮は近世に当山派修験の観蔵院として広く知られ、その後、時代の流れとともに神仏分離の大波の影響から八日見神社と改称し今に残る。

しかし一方では別軸としての龍神信仰が伝わり、山中には龍頭神社と呼ばれる祠とご神域が存在する。「龍」の「頭」と書いて「りゅうかみ」の山としてその名がついたとも言われているが、たしかに、切り立った尾根を連続で登り下りしたのちの尾根上で振り返ると、まさに山頂を龍の頭に見立て、そこから続くいくつかの峰が曲がりくねった龍体を表現しているようにも見て取れる。

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龍神信仰はおそらく日本武尊に端を発する神犬(オオカミ)信仰よりも古く、その土地の自然環境から生まれた自然崇拝のように思えてならない。もし両神(りょうがみ)が龍頭(りゅうかみ)からの転化であったならば、その峰々を連ねる登拝道はさながら龍の背中を歩くドラゴンロードと言えるのではないだろうか。

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夕刻、雲海に浮かぶ稜線は、まるで龍の背中のように見えた。
この姿こそが龍神信仰なのではないかと思いを馳せる。

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