見出し画像

神戸牛を売っていたら、モチベーション管理のヒントが見つかった

3ヶ月前から焼肉屋さんでアルバイトをしている。

平日の日中は「編集者」として働きつつ、夜と週末は「焼肉屋さん」で働く生活。

最近、焼肉屋さんで働くなかで「自分は何をモチベーションに働いているのか?」について理解が少し深まるできごとがあった。

1ヶ月ほど前、シェフが神戸牛のサーロインを仕入れてきた。すごく状態がいいらしい。僕を含めたキッチンのスタッフは「お客さんからオススメを聞かれたりしたら、積極的に紹介してね」とお願いされた。

神戸牛のサーロインはけっこう高い。

120gで10,000円する。120gというのは、1口サイズに切ると4切れぐらい。お世辞にも多くはない。

だらまあ、売るのはけっこう難しい。

「ミスター神戸牛」の称号をもらう

僕はいま、神戸牛のサーロインを全スタッフのなかでいちばん売っている。

平日は週3で1日2〜3時間ぐらいと、週末はどちらかの夜に入るぐらいの出勤頻度で計8人前を売った。

週5でフルタイムで入っている正社員の人と競っていたのだけど、最近「売ったよ」って報告を聞かないから、たぶん僕がいちばん売っている。

最近、シェフから「ミスター神戸牛」と呼ばれるようになった。

神戸牛が完売して、モチベーションが下がった

3日前、出勤したら「おかげさまでサーロイン売り切れたよ。またとっておきのやつ仕入れたら、そのときはよろしく」と言われた。

僕は「あ、ホントですか! 完売して良かったです!」と言いながら、自分の中のモチベーションの火が少しだけ小さくなった気がした。

だけどおととい、出勤したら「ごめん! あと1人前だけ残ってた。ラスト神戸牛、決めてくれ」と言われた。

その瞬間、モチベーションの火がまた大きくなった。

その心の動きを感じたときに「あ、俺って他者起点のモチベーションが強いのかもなあ」と思った。

モチベーションを他社に依存するのはダサい

「他者を起点にしてがんばるのはダサい」と思っていた。

「誰かに期待されてるからがんばる」「誰かに喜んでもらえるからがんばる」というモチベーションは、ないほうがいいと思っていた。

なぜかというと他者はコントロールできないから。

アンコントローラブルなものにモチベーションを依存して波ができるのは、プロとして失格だと思っていた。

「自分起点」のモチベーションだけでがんばるほうがいいと思っていた。

「自分が成長したいから」「自分がやっていて楽しいから」「自分がこういう世の中のほうがいいと思っているから」という動機だけでモチベーションを形成したほうが、パフォーマンスが安定して長続きしそうだなと思っていた。

だけど少し、考え方が変わってきたかもしれない。

「お前の言葉は、なんか薄っぺらい」

社会人1年目、僕は仕事の成果がまったく出ていなかった。

2年目の春に始まったプロジェクトで、ようやく少し成果が出始めた。

1年目のときから僕にずっと愛のムチを打ち続けてくれていた当時の会社の取締役から「最近、調子いいみたいだね。何が変わったの?」と聞かれた。

僕は「プロジェクトの責任者をしている先輩が、僕にすごく期待してくれてて、いろいろ任せてくれるんですよね。この先輩のためなら、どんなことでもやってやるって思えてるからのような気がします」と答えた。

だけど「他者起点のモチベーションはダサい」と思っていた当時の僕は、続けて「ほんとは自分起点でがんばれるほうがいいんですけどね」と加えた。

黙って聞いていた取締役は、ようやく口を開いたと思ったら「自分起点でがんばれるほうがいいって、理想論としては分かるんだけど、ふじもんが言うとなんか言葉が薄っぺらいんだよね。先輩からの期待でがんばれてるっていう現実を見なよ」と言って、デスクへ戻っていた。

「言葉が薄っぺらい」と言われたことにムカついて、当時は「うるせえ」という感情がいちばん大きかったのだけど、けっこう核心をついていたのかもしれないなあと、2年経った今になってようやく思える。

顔の見えない1億人より、顔の見える100人に喜んでほしい

昔、マクドナルドの元マーケティング責任者の人に取材させてもらったことがある。

その人は「スタートアップの人事責任者」へ転職した。日本マクドナルドのマーケティング責任者を務めるほどの実績とスキルがあるなら、そのままマーケティング畑を歩んでいれば業界の第一人者になれた可能性もけっこうあったと思う。

だけど「スタートアップ」のしかも「人事」という全然違うキャリアを歩み始めた。

取材で僕は「なんで転職したんですか?」と聞いた。

そしたら「顔の見えない1億人より、顔の見える100人を喜ばせたいなと思ったんだよね」と返ってきた。

この言葉を、僕はシェフから「サーロイン、あと1人前だけあったわ」と言われたときにふと思い出した。

2種類の「他者起点」

同じ他者でも「遠くにいる大勢の他者」より「少数の身近な他者」に喜んでもらうほうが、僕もマクドの元マーケ責任者の方も幸せなのかもしれない。

神戸牛のサーロインが売れると、嬉しかった。

「このお客さんはサーロインが合いそうだな」「こういうふうに紹介したら、注文してもらえそうだな」とあたりをつけて、紹介したら本当に注文してもらるとゲームをクリアしたときのような嬉しさがあった。

実際に食べてもらって、お客さんから「美味しかったよ」と喜んでもらえたときの嬉しさもあった。

だけど何よりもいちばん嬉しかったのは、サーロインの注文を取ってキッチンに帰ったときの、シェフたちの「おー!サーロインじゃん!」「ナイス!!」と喜ぶ顔だった。

「シェフの方たち」という身近な人に喜んでもらうために「どういう人にサーロインが合うかな?」と考える。

「海外の観光客は、せっかくだから日本ならではの最高級のお肉が食べたいはず。だったら神戸牛のサーロインはうってつけだな」とか「あそこの若い男性4人のテーブル、めっちゃ食べるじゃん。ガッツリいきたい感じっぽいから、追加注文に悩んでたらサーロインをオススメしてみよう」とかって頭を働かせている自分がいた。

自分のためだけに働いていたら、そこまでは必死になれなかった気がする。

「自分起点」のモチベーションもある

もちろん「自分起点」のモチベーションは、いまもある。

そもそも焼肉屋さんでバイトし始めたのも「飲食店で働いた経験やスキルを、編集者の仕事に還元したい」「どうせ飲食店で働くんだったら、焼肉が好きだから焼肉屋さんにしよう」という自分起点の理由だった。その動機は、いまもずっと根幹にある。

「お客さんとのコミュニケーションの仕方」や「お肉の知識」に比べると「ワインの知識」は吸収効率が悪い。

なぜならコミュニケーションのスキルは編集者の仕事に還元したいし、お肉は好きだから新しいことを知るのは楽しいけど、ワインはあまり興味がないから。

これまで描いていた理想のモチベーションは「自分起点が100%」だった。だけど実態は「自分起点は70%で、他者起点のモチベーションが加わると120%になることもある」っぽいなという感覚。

「他者からの期待でがんばれる部分が、俺には最大で50%もあるのか。しかも自分起点だけだと出なかったパワーが発揮されることもありそう」という現実に、神戸牛の一件で気づいた。

自分のモチベーションを「自覚すること」から始める

他者からの期待は、自分だけのためにがんばるよりも大きなパワーを引き出してくれるかもしれない。(あくまでも僕の場合は)

だけど「他者起点だけ」のモチベーションで働くのは、それはそれで危険だなと思う。最初にも言った通り、やっぱりコントロールできるものではない。そうすると「期待してもらえるようになるまで実績やスキルや貯める期間」が耐えにくくなる。

それに他者から期待されたり承認されたりするようになったとしも、それはやっぱりどこまでいっても「他者のものさし」による評価でしかない。自分だけのものさしで「これでいいんだ」「これが幸せだ」と感じられる部分を持っておかないと、ある日急にむなしさが襲ってきたりするような気がする。

言葉にするとめちゃくちゃ当たり前な感じになってしまうけど「自分起点と他者起点の両方をバランスよく持つこと」が、僕にとってはいいのかもしれない。

それがいちばん長続きするし、最大出力も大きくなりそう。

「他者起点のモチベーションでがんばるのはダサい」「自分起点だけのモチベーションでやるのがプロだ」という理想を掲げていたけれど、僕は他者からの期待でがんばれてしまう人間なのだなという現実を受け入れようと思う。

まずは自覚することから始める。

そうすればあんまりパフォーマンスを出せてないときに「この仕事は自分起点のモチベーションしかないからなのかも」と早めに気づけるかもしれない。「もうちょっとこの仕事の位置づけを変えて、あの先輩からの後押しも受けられるようになれば、さらにモチベーションが高まりそうだ」と比率を調整できるようになれば、さらにいいと思う。

きのう、焼肉屋さんに出勤したら「神戸牛、別の人がラストの1人前を売って完売したよ」と報告をもらった。

あした出勤したら、新しい「他者起点のモチベーション」の種を探してみよう。


この記事が参加している募集

仕事について話そう

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます!!!すこしでも面白いなと思っていただければ「スキ」を押していただけると、よりうれしいです・・・!