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何になりたいのかorどんな世の中にしたいのか

「自分の好きなことを仕事にしよう!」という言説が流布して久しい。

学生のぼくが大人からもらうテンプレ質問は、「君のやりたいことは何?」だ。

ぼくは、正しさと分かりやすさとユーモアをもった発信で、世の中を前に進めたいと思っている。

発信の際の必要条件はもう少し細分化する必要があるかもしれないし、「世を前に進める」のより具体的な定義化も大事かもしれないけど、とりあえずいまのぼくが言語化できているのはここら辺りまでだ。

まあ、本noteはぼくのやりたいことの内容が本筋ではないので、これくらいにしておく。

本題はここからなのだけど、それで、ぼくのやりたいことに興味をもってくれた大人の人たちにたいして、こういったような話をする。

話すたびにぼくの考えも少しずつアップデートされていて、ちょっとずつ修正がかかっているのだけど、一番の大元は長らく変わっていない。

大方の反応は「おおいいね」みたいな感じだったり、ぼくの定義が抽象的すぎて深く突っ込めれないこともあったりするのだが、以前驚いた反応は「で、その先には何がるの?」というものだった。

最初は、質問の意味がわからなすぎて4秒くらい硬直した。

ぼくが答えにつまっていると、質問者は言葉を変えた。

「そのやりたいことをやったうえで、あなたは何になりたいの?」

言い換えをしてくれて、ようやく質問の意図はなんとなくわかったけど、答え方は結局わからなかった。

その日はそれで終わったのだけど、その帰り道からぼくは自分がどうして質問の答えに詰まってしまったのか、どうしてその大人の方はそんな質問をしたのかを、ずっと考えていた。

行き着いた仮説

ぼくのなかで出た一つの答えは、タイトルにある「何になりたいのかorどんな世の中にしたいのか」の差だった。

そしてこの差異が生まれる要因の一つは、多分「世代」だ。この雑なくくり方はあまり好きではないのだけれど、時代背景的なものを考慮すると、あながちズレてはないのかなとも思う。

例の質問をしてきた方は40代半ばくらいの男性なのだけれど、多分「何になりたいの?」という質問に対する答えとして、「お金持ちになりたい」「有名人になりたい」「女の子にモテたい」といったものを期待していたのだろう。

要は、(少なくとも)その人にとっては、「貧困のない世界にしたい」「戦争のない平和な世界にしたい」「差別のない多様性を受容する世界」といった「どんな世の中にしたいのか」はあくまでも「手段」の位置づけなのかもしれない。

そしてその先にある「目的」は、その結果としてお金持ちになったり、有名人になったり、女の子にモテることだ。(あくまでも推測です)

ぼくらの世代では

ここがいわゆる「ミレニアル世代」では、多分「手段」「目的」が入れ変わる人が多い気がしている。

前述の「貧困のない世界にしたい」「戦争のない平和な世界にしたい」「差別のない多様性を受容する世界」が「目的」であり、それを実行・実現するための「手段」として、お金や発信力を手に入れようとする。

だからぼくは、自分のwantを聞かれて「世の中に伝わるベき情報が伝わっている世界」と答えて、それが「目的」なので、それ以上の答えようがなかったのだ。

それ以上先にも求めるものも、とりあえず目先の「目的」を完遂するまでは特に見えてこないし思い浮かばないし、お金も発信力も、自分のやりたいこと、志す世界を少しでも実現するための「手段」でしかない。

ミレニアル世代とそれより年上の世代

こういった話をするとマズローの5段階欲求が出てくるけれども、この手段と目的の世代による位置づけの違いは、やはりそんな感じのものが由来している気がする。

ミレニアル世代より上の人達は、いわゆる上から2番目の「承認欲求」を満たしにかかってるのかなと。

そしてぼくたちミレニアル世代は、1番上にある「自己実現の欲求」なのかなと。

どんどんと世の中が安全、便利になるにつれて、欲求の階層が上がっていった的な論理だ。

どちらの価値観が優れているとかっていう優劣はないけれど、そこの「優先順位の違い」みたいものは、多少世代によってある程度の傾向はあるのかなーと思った質問やった。


★そういや、少し似たようなことを前にnoteで書いてた


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