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10年間憧れ続けた海外駐在という夢の実現と挫折を経て~素直に生きる~

最も読まれている記事につきアップデートをかけました(7/28)
約30年間生きてきた中で、10年間という人生の3分の1の間あこがれ続けていた海外駐在を実現したが、1年で帰国という挫折の内容と感じたこと、そこから変化した価値観を書いた。

赤裸々に気合を入れて書いたので、以下のような方に一読していただき何か気づき、アクションに変えていただけると何よりうれしい。

  • 海外での暮らし、勤務をしたい・してみたいという人

  • やりたいこと、夢がわからない人

  • 目標、夢を追いかけている途中の人

  • 夢破れてしまった人

  • 燃え尽きてしまった人


海外駐在を目標にしたきっかけ

大学時代に海外での超短期留学やインドでのボランティア、15か国でのバックパッカーを経験する中で純ジャパで英語もそこそこではあるものの、いつかは海外での勤務をしたいという思いが芽生えた。
海外で働くこと自体がかっこいいだろうという他人からの評判や海外駐在手当等の報酬面へのあこがれもあったかと思う。
そこから英語も多少勉強し、TOEICで800点ほど取得し、少し自信がつき、就職活動では大手総合商社や海外展開のあるメーカーを中心に受け、何とか海外拠点のあるメーカーに内定することができた。

10年かかった海外駐在~度重なる壁と二回の転職~

就職したメーカーでは当初希望していた海外のポジションではなく、国内工場のポジションであった。将来的には海外とかかわる職種への転向や海外工場への異動もあると言われていたが本流の花形ではなかった。他の同期は、海外営業といった花形かつ海外のポジションにいる人もいた。今となればたいしたことではなが、サラリーマンになりたての若造にとっては、正直嫉妬や悔しさがありながらも周りには、そういった素振りを見せずに逃げるように目を背けてしまっていた。

その中で自分自身に噓をつき、見た目や給料の良い外資系のコンサル会社へ転職することでライバルであった同期との差別化を図った。口先では、企業の業務改善を行いたいという聞こえの良いことを言っていたが、海外へのあこがれを捨てれずにいた。外資系のコンサルといっても基本的に日本にあるコンサル会社は出先の会社かつ日本クライアント向けの現地法人であるため、海外との接点や駐在の機会は少ない。コンサル会社では、ご想像の通り苦労や別の意味での悔しい経験、つらい経験をしたが、その辺りは裏事情を含めて別の記事で書きたいと思う。海外で働きたいという思いを捨てれずにその後別のコンサル会社に転職後、チャンスが回ってきた。

2社目も外資系でありながら、海外の現地法人に派遣する仕組みがあり、その制度を活かし応募した。希望者も少なく基本的には日本のクライアントを相手にするということであったので、TOEICもそこそこで受かるかと思っていたが、まさかの現地人マネージャー、パートナーとの面接が設定されていた。多少の実務で英語を使う程度であった私の英語力では及ばず、社内で不合格となった。社内で受検し、簡単だろうと思われている試験にも落ち、茫然自失であった。思いだけが先行しており、「本気」と「能力」が足りていなかった。

社内でやりたいこともないなと思いさらなる転職考えていた時に突然海外の上司から連絡があり、「覚悟があるなら来い。思いは買う。その代わり来るまでに英語を上達しろ」という連絡をもらい初めての海外駐在(タイ)が決まることとなった。

夢を実現したその先

外資系の企業での駐在であったため、周りはローカル採用のタイ人や様々な国の人と働く機会を得ることができた。出張も周辺のシンガポールやベトナムを何度も往来する等まさに憧れていた海外での生活を送っていた。

周りの同僚も優秀な人が多く、毎日がむしゃらに何とか食らいついていく日々だった。

東南アジアの駐在員ならではの豪勢なコンドミニアムでの暮らしやローカルな食べ物や現地ならではの観光等も楽しむことができた。

タイで有名なディカプリオの映画の舞台となったビーチ
シンガポールの夜

また、タイの国柄で貧富の差はものすごいが、治安も安定しており、ローカルのタイの人々はみな穏やかで優しかったというか日本とは異なり良い意味で怠惰な雰囲気があった。そういった環境で暮らすことで、働く意味や時間の使い方を考え直すきっかけとなる等良い経験となった。

海外での苦難と1年での帰国

しかしながら、海外での勤務は非常にハードかつ慣れない英語を駆使しながら各々違うアクセントのクライアントやメンバーとのコミュニケーションでは非常に苦労したというかうまくできていなかった。コンサルでよく発生する社内とクライアントの板挟みのプレッシャーと異文化でのコミュニケーション、仕事の成果は上がらず、プロジェクトは炎上するという何ともつらい経験をすることとなった。すべての矛先はプロジェクトをリードする立場であった私にくるのだが、英語が理解できず、また私の英語も理解されないまま諦められる瞬間もあり情けなく申し訳ない気持ちになった。そうなってしまうと本当に負のループとなってしまい、気が付くと精神面を壊してしまっていた。

厳しい環境の中でも支えてくれた現地の上司や一緒に修羅場を経験したメンバーには感謝をしてもしきれない。精一杯やったつもりではあるが、自分自身の能力と精神衛生面を考慮すると、帰国という選択を取らざるを得なかった。

挫折を経て得たこと ~素直に生きる~

挫折を経て、大きな喪失感や自分自身の弱さを思い知らされた。そして自分の人生の限りある時間を今後どう過ごしていくべきか再考するきっかけとなった。
 
結論としては、自分のやりたいように好きなように素直に生きるということであった。これまでの自分は、表面的な憧れや周りからの評価を気にしすぎていた。最もやりたいことでかつ自分の能力で活躍できる領域に挑戦していくべきだと思う。人に評価されないものであっても自分自身がやりたくて、活躍できるような環境を選ぶことが何より今の自分には重要だと考えている。 


今後のあるべき自分の姿


 
この10年間夢を追いかけ続けてきて全くの後悔はない。結局自分の場合はあきらめてしまったが、ゴールや目標があることで10年前の自分では、ありえないほどの成長を手にすることができた。なので他人の評判や表面的な目標で突き進むのも、ただただのんびり生きるよりも素晴らしいことだと思う。たとえ失敗したとてどの時点で成功と決めつけているのか。もっと長いスパンでとらえることで、今の失敗は将来の大きな成功への試金石となりうる。成功や失敗なんてそもそも存在せず、自分自身が後付けできればすべては、とらえ方次第である。今現実がつらくてもいったん逃げ出して、再始動して自分なりの成功を求めていけばいいじゃないか。長い人生諦めない限り失敗ではないのだから。今私は別の目標、夢に向かって動き出している。
 
自分の人生・時間は限られている。だから、好きなように自由に誰かの目や評価でなく自分に素直に生きる。

これまで10年間で経験した内容を他にも以下の記事やTwitterにも記載しているので是非見てほしい

#あの選択をしたから


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