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ぼくらのプロダクトアウト 第二回

ぼくらのプロダクトアウト 連続4回 第二回

 続き。生産コストの爆高騰に時同じくして、別の困難が農業に迫っている。
 国庫からコロナ対策への大量支出。防衛力強化に伴う資金確保。
 ともなう農水省予算方針の転換。日本国における農業そのものの位置づけの大転換が、人知れず進んでいるということ。
 先に断っておきますが、「政府の悪政を暴く」とかそういう趣旨ではありません。
 2022の衝撃の第一位。「転作水田作付け5か年要件」の導入。施行。
 これまでの日本の農業政策を簡単に振り返る。広大な水田を有し、ジャポニカ米を基幹農産物として発展してきたわが国は、これまでに幾度か方針を変えてきた。米こそが農であり、食であった時期ははるか弥生時代から連綿と続いてきた。
 稲作も新規技術導入や、消費拡大(人口増)の鈍化に伴い「減反政策」がとられたのが昭和。この始まりが1971年。その後、民主党時代に「個別所得補償制度」が導入。稲作は基本縮小していくものの「食料安全保障」の観点から、小規模農家や農地まで、国がある程度保護する政策方針がとられてきた。稲作農家に一定の補助金を付け、赤字補填を行って守ってきたのだ。
 これは、稲作だけでなく、水田を他の作物(そば、麦、大豆、ほか各種野菜類)に転作して「水田を畑として守る」ことも、農地保全、保護の観点(環境維持、食料安全保障)から同様に保護してきた。
 個別所得補償。これは民主党が施行した稲作保護政策であり、2010年の安倍政権で廃止。順次稲作保護の打ち切りと考えられる方針転換は進んできた。もう、儲からない米農家さんは、国としては農業やめてもらって構わんよー、という趣旨である。
 そして2022年。私としては愚策と考える「転作水田・作付5カ年要件」が、ある日電撃的に発表され、非常に速やかに導入・施行された。知りませんよね。興味の範囲外ですよね。
 これは、転作して畑として守り、管理してきた元水田については「5年に一度水を張って稲作をしないと、保護を打ち切る」というものです。

知ってください。水田と畑とは、まったく性質を異にします。

 水田とは、「水が溜まることが善」。水漏れなくあぜを巡らせたプール。土の下にも水が染みとおらないような工夫をします。
 畑とは、「水が溜まらないことが善」。水田を畑にするなら、あぜを取り払い、土の下の耕盤と言われる水を通さない層を破砕して、水が染みとおり易くするための労力と資金をかけます。
 畑作物を作るなら、作付けや収穫・調整・出荷の手間はかかるものの、水路の管理や、「あぜ」の厳密な管理、補修、維持が不要になる。しかし、最初のあぜの撤去などは重機を要し、それなりに大変です。水はけの良い土づくり、連作障害を起こさない微生物層の形成など「畑を育てる」工程が必要になる。
「5年に一度、水を張って米を作れ」。

 転作農家は頑張って土を畑用に育て、水はけを向上させ、中には水稲設備や機械を捨て、そこであがき、ノウハウを蓄積してきた経営体もある。もう、数十年に渡り水路やあぜの厳密管理はしていない。もうそもそもそれらが撤去済みのケースもある。そうでなくても水田という角度で見れば、一定の老朽や崩壊が当然ある。
 水を張れ?無理だ。どれだけの再投資であぜや水路を復旧しろというのだ。しかもわずか5年に1回の水稲作付の為に。ペイ(回収)できるわけがない。もう水稲専用の設備、機械も手放してしまったよ。しかも育てた畑土を、泥んこ水田土に、これからは必ず5年に1回は戻せというのか。畑の土に戻しても、また泥んこに戻る・・・。砂で城を築くようなものじゃないか。しかも需要が減り、価格も果てしなく下がり続けるお米を作れ?!強制なのか!?
 この要件の導入は非常に良くできている。(国から見ると、という面で)国庫からの国内農地の保護支出を大幅に縮小し、小規模農家と共に、財政支出で保護をする農家・生産者数の削減には、大変有効である。歴史的生産コスト暴騰、という時期に合わせて施行するあたりも絶妙だし、コロナ禍で、消費低迷、価格低迷で生産者が喘いでいる瞬間に施行するのも絶妙なタイミングと言っていいだろう。政府(霞が関?)の思惑通り、猛烈な勢いで業界から、撤退、廃業、破綻の報せが届いた2022であった。
 付け加えるが、従前の保護政策には悪用する者も多かった。作付けという名の種まきだけでも一定額の補助が付いてしまう。それを狙う生産者もいないではなかった。「弱きものは必ずしも善ではない」というのも事実。
 また作付け面積配分に、大きな指針がない為、生産側の都合で勝手に作りたいものを作り、自ら需給バランスを崩すなど。今回導入された、「制度の厳格化」の方向性そのものには、私は賛成だし、農耕不適地が淘汰されることも間違っていない。保護なしで経営維持可能な営農を目指すのも当然目指すべき方向。
 しかし、やり方と時期は最悪であった。
 私は御殿場市を通じて県庁に確認を依頼した。
 それはこんな内容。
「水張りなしの水稲品種づくりで、5か年要件のクリアになるかどうか。」
実は今、ちょうど北海道を中心に、稲作のコスト削減、ともなう国際競争力獲得の試みの為、「水を貯めない水稲品種づくり」の大きな波が起きようとしている。もう検証は終わり、実証のステージに進んでいる。私は立場上、その情報に触れる機会が多いため、自分の住まう地域への紹介などもしている。米作れるなら(しかも水張り水稲以上の品質、収量、コストダウンを目指す!)、水張るかどうかは関係ないでしょ!?張っても、張らなくても、米は作れるんだから!!と、私は思う。
静岡県の回答は以下の通り。

「許さない。なんなら米作らなくても良いから、水だけでも張れ。そしたら要件クリアと認める。水張らないなら打ち切り」

 私は絶句した。別に無湛水水稲が保護要件クリアに認められなかったからではない。基本は保護が無くても自立できる農業が良いと思う。
 なぜ、「水を張るというエビデンス(証拠)の収集だけを目指すのか」。
 それは今回導入された制度が、生産サイドの事情や生産奨励とは全く連動していないということ意味している。

「単にプール構造を保っているかどうか、という点だけの確認」。
「プール構造を保っていない場合は、理由や経緯を問わず排除」
「その確認の為に生産者の生産性や収益性の低下や、コスト増なんて、知ったこっちゃない」

 本制度が「ふるい」として一定数の農地の「放棄を進行させる為だけ」に設計されているということを意味してしまう、表明すると同義になってしまうからだ。そしてそれは、水はけ改善など、真剣に転作に取り組んできた経営体ほど、狙うちになるということ。地域の農地保全とそれによる住民の生活環境維持に取り組んできたかつまたファームとしても、大変残念な回答であった。
 これは制度設計の理念として健全ではない。あまりに不健全だ。ルール違反や甘え、悪用などの順次排除による適正化ではなく、強制的、突発的、運任せによる農地と生産者の排除。投げられたダーツが命中した農地・農家が強制離脱となる。最悪なことに、転作により、健全な自立経営を目指してきた経営体には、特にダーツは刺さる。しかもその農家は「かつて国の方針にしたがって転作に向かった農家たち」なのだ。
 私はこういうやり方が「嫌い」だ。「大嫌い」だ。感情的に嫌いだ。(私は現在このダーツが刺さらないところにいるので、私の個人的恨み節として言うのではない)
 あまりに場当たりで無責任な方向転換ではないのか。
 「梯子かけ、上ったところで取り外す」
(いや五七五でうまい事言った、なんて言ってる場合ではない)

 皆さんはこのやり方にどのような印象を持つのだろうか。
 私は最初にため息。次に怒りがこみ上げたわけだが。


今日はここまで。ポイント整理
①    農外の人には人知れず行われた政府の方針転換
急で悪いけど、条件つけたから、クリアできなきゃ経営辞めてくださいな。

②    え?それって、かつて国にそそのかされたてそちら(転作)に向かった人たちだよね?

③    しかも、農業経営が「歴史的に苦しい」今やるの?あざとすぎない?

                            第3回へ続く


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