『苦手意識(学習性無気力)と音楽』

心理学の授業で話すと『なんてひどいことを!』という感想が必ず出てくる内容の一つにセリグマンの学習性無気力の実験があります。

これは

①逃げられないように鎖で縛りつけた犬の足元の床に何回か電流を流す。

②電流の痛みから逃げようとしても無駄で、逆に、体力を消耗したりして、もっとつらくなることを学習した犬が、電流から逃げようとしなくなり、じっと動かないで耐えるようになる。

③この後、鎖を外して電流を流すと、逃げられる状況であるにも関わらず『電流から逃げようとするのは無駄、逆にもっとつらいことになる』と学習しているので、逃げずにじっと動かないで耐える(学習性無気力の成立)

という実験です。

このような学習性無気力は、人間にもよく観察されます。小学校や中学校で苦手だった科目に関係のあることは、大学生や大人になってからも、なんとなく避けたりしますよね?

でも、塾講師のバイトとか、親戚の子どもに教えなくてはいけなくなったりして、やってみると『あれ?理解できる…問題もすらすら解けるぞ、ていうか面白い…』と思ってびっくりしたりします。

この謎を解く鍵は、発達心理学のレディネスという概念です。これは「ある学習を受け入れる心身の準備ができていること」と言う意味です。

例えば、中学生くらいになると形式的操作期といって『具体例がなくても概念を操作できる』というレディネスが出来ますので、数学でXやYのような具体例なしの数式が出てきたりします。

このように、学校教育は各年齢のレディネスに合わせた内容になっていますが、問題は、そういったレディネスが整う時期に大きな個人差があるということです。

例えば、上記の形式的操作期に入る時期も、平均すると中学入学頃ですが、小学校6年生くらいでそうなる子もいれば、中二くらいでそうなる子もいます。そして、中二くらいでそうなる子が勉強に向いていないかというとそうではなく、高校くらいですごく成績が伸びたりします。

つまり、発達が早いか遅いかは、その後、どれくらいできるようになるかとは関係がないのです。

しかし、発達の遅い子が、周りの子ができているのにできない経験をすることによって、学習性無気力になってしまい『どうせやってもできない』と思い込むと、その後レディネスが整い、できるようになっても、努力せず、一生できなくなってしまったりします。とてももったいないことです。

(なので、個人差を無視した実年齢別の一斉指導はやはり問題があると私は思います)

この話を授業ですると学生に『先生の苦手科目はなんだったんですか?』と訊かれますが、実は、小学校中学校の頃、音楽が苦手でした。高校では選択で音楽か美術かが選べましたので、迷わず美術を選びました。

そんな私が音楽大好き人間になって音大で心理学を教えるようになるまでの話をしだすと、すごく長くなってしまうので、ここには書きませんが、小学校中学校の頃は『音楽を学ぶ、あるいは楽しむレディネス』が出来ていなかったのも原因だと思います。

そんなわけで、音楽の先生を目指して心理学の授業を受けにくる学生達には『あのね、君らが先生になったとき、出来ない子がいても絶対怒っちゃダメだからね。ふざけているんじゃなくて本当に頑張っているけど出来ないのかもしれないから…あと、自信なさそうな子を皆の前で歌わせてはいけません』と必ず言っています。

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