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もう一人の織田信長

織田信長。

圧倒的なカリスマ性と強烈なリーダーシップで家臣たちをまとめ上げ、戦国の世に終止符を打った日本史史上、最強と言っても過言ではないリーダー。

反面、部下に厳しく彼が束ねる織田軍団は今でいうところのブラック企業も同然、最終的に家臣の一人・明智光秀の裏切りにより本能寺の変により49年の生涯を閉じる。

一般的に認知されている「織田信長」と言えば、このような人物像だと思います。

美術品から考える「織田信長」

一方でこちらの写真。京都・大徳寺が所蔵する「織田信長」像です。
(大徳寺は信長を含め、織田家一族の墓があり、織田家との関りが深い寺です)

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作者は、戦国〜江戸初期にかけて活躍した天才絵師「狩野永徳」

この肖像画は、信長の3回忌に合わせて作られた肖像画なのですが、「これが似ている」と、永徳自身のコメントがあったことでも知られている画です。

狩野永徳は、信長の居城=安土城の襖絵を担当するなど、非常に信長に近い人物でした。

その人物が「これは似ている」とコメントするほどの絵となると、実際の信長に近いとも考えられるのではないでしょうか。

カリスマ性?

この信長像が本人に近いとするのであれば、華奢な体躯で憂鬱な面影が印象的で、カリスマ性や強烈なリーダーシップを発揮できるような、人物とは到底確認できません。

むしろ、「朝廷・公家」との間で苦心する信長、光秀や秀吉など個性的な家臣が多く部下マネジメントに苦心する信長、新しい技術やグローバルな視点をもたらしてくれるイエズス会に関心はあるが旧来の仏教勢力の激しい抵抗に疲労する信長。

このような、現代の大企業の「中間管理職」的な立ち位置に置かれていたのでは?と、考えたくなるようなストレスを多く抱えていそうな面立ちです。

秀吉による改竄

さらに、この絵については、信長の3回忌の葬儀を取り仕切った秀吉による改竄問題も指摘されています。元々の絵は、もっと煌びやかな衣装で刀も数本描かれていたそうですが、地味な衣装の色に変更し、最終的に刀も脇差一本のみと地味な様相に描き直しされているそうです。

秀吉がなぜ絵を改竄したのか?「派手な装いだと葬儀に相応しくない」とか、「あまりに派手な絵になると自分より信長が目立って面白くない」など、様々な見解があるそうです。

ただ、仮に後者を採用するなら、死後わずか三年で、秀吉の権威が信長を上回っていることとなり、逆にそれが「織田政権」の脆弱性を物語っているとも考えらえるのではないでしょうか。

まとめ

この絵を持って、信長のカリスマ性やリーダーシップを否定できるとは僕も考えていません。

ただ、「人には様々な顔」があること、それは日本史史上最強のリーダーの一人=「織田信長」も例外ではないということをこの狩野永徳の絵は物語っているのではないでしょうか。

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