魂の在り処

静かに降り注ぐ雨は月明かりにと共に、行き交う人もない路地をそっと打ちつけていた。
明滅する赤と青の人工光が、まるでもう一人の自己が立ち現れては消えるが如く、僅かばかり足を引きずる男の影を濡れた路面へ落とした。
「まだお前は私についてくるのか。」
その影を見つめ、一人呟きながら静かに歩く男は酷く錆びた鉄の扉の前にたどり着くと、コートの中から鍵を取り出し、先ほどまで通ってきた道を一瞥した後、世界から男を閉ざすが如く無数に取り付けられた錠を開けた。
狭い玄関を抜け、少し長い廊下の先にあるリビングの中央には一人の少女が座っていた。
黒く長い髪と白く柔らかな肌が月明かりに照らされ妖しく輝くのとは対照的に、無機質な表情を浮かべたままの彼女に男はいつものように言った。
「ただいま。」
「お帰りなさい」
彼女は首をぐるりとこちらに向け挨拶を返すと、また元のように窓辺を見つめた。
あぁ何という美しさ、素晴らしさだろう。
男はこの世でただ一人、愛する事のできる彼女の頬にそっと触れた。
今にも崩れそうな砂の城に触れるかのように優しく、そして柔らかく。
そしてそっとこちらを見つめる彼女に男は言った。
「今日で最後だよ。」
それを聞くと彼女は、
「そう、最後なのね。」そう一言だけ返すと、彼女は静かに目を閉じた。


男はこの日をずっと待ち望んでいた。彼の時間はあの事故から止まっていたのだ。
信号無視の車に轢かれ、12歳の娘と左足を失い、バレエダンサーとしてのキャリアも失くした。
それ以来男はただ一つの目的のためだけに生きていった。愛しい娘を蘇らせること、ただそのためだけに生きていた。
僅かに残った彼女の遺体の破片を用いて、少しずつ作りあげた。
足りない部分は、彼女に似た子から一つ一つ奪っていった。脚を、胴を、眼を。
躊躇いはなかった。
私が味わった不条理は不条理ではない。死は決してサマラだけで遭うものではなく、常にそこにあるのだ。
そう思いながら死を前に怯える子供達を一人一人殺した。つい今朝までは死ぬなどと思ってもいなかった子供達を、機械のように。
そうして彼女は作られた。あの日と変わらぬ姿で。

「僕の最後願いを聞いてくれるかい」 男は彼女に囁いた。
「構わないわ。」そう彼女が返すと男は彼女の耳元にそっと呟いた。
「構わないわ。」
表情もなく、声色もなく返す彼女に口づけをし、
「さようなら、愛しい子。」
そう言って男は笑みを浮かべ自らの心臓を抉った。


薄れゆく意識の中で彼は彼女が舞い踊るのを見た。サン=サーンスの音楽と共に、月明かりに照らされ、美しく、艶やかに。
あの日以来止まっていた彼の時は動き出し、そして彼女は永遠になった。

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砂男、イノセンスに影響されて描いた作品。

男はある意味事故の時すでに死んでいた。肉体的死を迎えた娘と精神的死を迎えた男との対比。

立ち現れる影は死神、そして自己を見つめる自己。
肉体的に復活を遂げた娘に対して、肉体的に死んだ男。
作られた肉体に魂はない。そのため彼女は以前死んでいるとも言える。

魂のない人形の娘に対して、事故以来止まっていた時が娘の完成により動き出し、ひとときだけ生き返った男。

音楽はサン=サーンスの死の舞踏
何をもって人は死に、何をもって人は生きているというのか。 
心臓を与えた彼女が動き出し、男は死んだ。
人間や物質に愛着を持つ私たちは何に魂を、愛を見出しているのか。


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