上念司との「レイシスト・フレンド」裁判、一審判決の問題点 #2 レイシストは「人種差別主義者」なのか?

 上念司との「レイシスト・フレンド」裁判の控訴審が始まりました。次回日程は5月15日とされています。詳しくはツイッターなどでお知らせしていきます。

 前回、書いたように、東京地裁での一審判決は思いもかけないものでした。そもそも私は上念司に対して、「レイシスト」という言葉を向けていません。私と藤原大輔は、現在の社会状況の中で音楽家の取るべき態度について、友人同士の話をしていただけです。
 それでも、世の中には「レイシスト・フレンド」とは上念司を指す言葉だと読む人もいるかもしれません。そして、裁判では「仮に…であったとしても」というロジックがしばしば使われます。
 私にとっての真実は、「レイシスト・フレンド」という曲についての会話において、私達の友人でもない上念司という人物は念頭に置かれていない、ということに尽きるのですが、裁判では「仮に高橋健太郎が上念司をレイシストと論評したとしても」という仮定に対しても判断を述べる形で、私の弁護が行われます。「仮に高橋健太郎が上念司をレイシストと論評したとしても、そこに違法性はない、公正な論評の範囲である」というのが、被告弁護側の立場です。

 これに対し、東京地裁の藤澤裕介裁判長は、上念司という人物を「レイシスト」と評することは名誉毀損である、という判決を下しました。この判決は極めて大きな問題を孕みます。上念司は経済評論家の肩書きのもとに、広範な言論活動を行なっている人物です。そこでは中国、韓国、あるいはアイヌなどがしばしば話題とされていて、問題視されてきた発言も少なくありません。過去にも数多くの人が、彼に対する批判の中で、「レイシスト」という言葉を使っています。 
 ここで私の「レイシスト・フレンド」発言が名誉毀損であると裁判で認められてしまうと、ズバリ名指しで上念司はレイシストであると言っている人々は、同様に名誉毀損で訴えられるリスクを負います。これは経済評論家に対する批判的論評を萎縮させることにもなるでしょう。ひいては、言論の自由を脅かす、さらには反レイシズム運動を後退させる。本裁判の一審判決はそういう判決です。
 
 判決の問題点を、判決文にそって、書いていきましょう。
 まず、私が大きなひっかかりを覚えたのは、藤澤裕介裁判長が「レイシスト」という言葉を「人種差別主義者」と言い換えて、判決を書いていることです。
 引用すると、判決文には「一般の読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、本件投稿1の記載は、被告が、原告は人種差別主義者であり、ジャズミュージシャンが関わりを持つ相手として好ましくない旨の意見を表明したものと認められる」とあります。しかし、「人種差別主義者」という言葉は、私のツイートにはありません。
 にもかかわらず、判決文には「人種差別」「人種差別主義者」という言葉が繰り返し使われます。

判決文

 「本件投稿1は、原告を人種差別主義者と評価したものであり〜」
 「本件投稿は、 被告が、 原告は人種差別主義 者であり、ジャズミュージシャンが関わりを持つ相手として好ましくない旨の意見を表明したものと認められる」
  「こうした不適切な表現行為が一部見られるという事実から、直ちに原告が韓国人、中国人、朝鮮民族又は アイヌ民族等の特定の国民ないし民族を差別し、劣等視するような人種差別的思想を有しているという事実までは推認することができない」などなど。
 そして、結論としては、こう述べられています。

 「原告を人種差別主義者であるとする意見表明は原告に対する意見ないし論評としての域を逸脱したものと評価すべきである」

 藤澤裕介裁判長は「レイシスト」とは「特定の国民ないし民族を差別し、劣等視するような人種差別的思想を有している」人物と考えているようです。これは極めて狭義の、古めかしい解釈であり、現代の反レイシズム運動とは相容れないものです。

 歴史的に「レイシズム」についての議論が、白人と黒人の間の人種差別を最大のテーマとしてきたのは間違いのないところです。しかし、白人による黒人に対する差別のように、遺伝的形質で規定される「人種」に対する差別だけが、レイシズムではありません。
 世界的な反レイシズム運動の教科書とも言える本に、ボストン大学教授のイブラム・X・ケンディが著した『アンチレイシストであるためには』があります。その中でケンディは米国に生まれ育ったアフロ・アメリカンと米国に移民してきたアフロ・カリビアンの間の差別の問題について、多くを述べています。両者は人種的には近しいが、そこにあるのも紛れもないレイシズムです。

 同様のことは日本における在日韓国人に対する差別にも言えるでしょう。人種的には、日本人と在日韓国人の間には外見で判断できるような差はありません。しかし、在日韓国人に対する差別は日本における最も大きなレイシズムです。
 そもそも、英語の「Race」の意味は「人種」だけに限りません。「民族」はもとより、遺伝的、身体的な属性や、地理的、言語的、文化的、宗教的、その他の社会的な属性によって、他と隔てられた集団が「Race」です。ゆえに、「人種差別」や「民族差別」だけでなく、「とある属性を共有する集団」や「とある境遇に置かれた人々」への差別も「レイシズム」と考えられます。
 レイシズムを克服するためには、現代社会の様々な局面に立ち現れる差別を問題視しなければいけません。イブラム・X・ケンディは、アンチ・レイシズムは必然的に性差別に対しても異を唱えることになるとも語っています。「とある境遇に置かれた人々」への差別もレイシズムと考えれば、当然のことです。

 そういえば、今年の2月に岸田首相の秘書官だった荒井勝喜が、性的少数者に対する差別発言をしたことで更迭されましたが、このニュースに対して、「首相秘書官がレイシストだった」という旨のコメントをする人が数多くいました。ツイッターでも数十件のツイートが見つかります。しかし、「性的少数者」への差別は「人種差別」とは違いますから、そこでの「レイシスト」は「人種差別主義者」とは同義ではないはずです。
 LGBTなどへの差別もレイシズムと看做すというのは、レイシズムに対する現代的な認識としては正しいとも言えます。しかし、藤澤裕介裁判長のような「レイシスト=人種差別主義者」という狭義の語義解釈を用いた場合には、性的少数者への不適切発言はあったが、人種差別主義者とまでは言えない、というロジックが成立してしまいます。首相秘書官に「レイシスト」という批判を向けた人達が、名誉毀損に問われるという事態も想定されます。

 レイシズムというのは、ありふれたものです。差別は現代社会の様々な場面に存在しています。差別を行うものは、「人種差別思想の持ち主」や「人種差別主義者」に限りません。KKKのような集団だけがレイシストではないのです。
 多くの差別は、自覚的な差別思想や差別主義を持たない人々によって、行われます。「普通の日本人」を標榜するネトウヨが多いことは、象徴的ですね。差別の動機は、周囲への同調に過ぎないこともありますし、経済行為の一環であることもあります。面白半分の暇つぶしのように、苛烈な差別発言がされることも少なくありません。レイシストになるには、主義も思想も必要ではないのです。
 差別は娯楽性を持ちます。軽い気持ちで、娯楽として消費されるものであり、それを喚起することが経済行為として成り立つものです。この「レイシスト・フレンド裁判」で意識されるべきは、そのことではないかとも思われます。
 
 本件裁判で原告側は、私が「事実の摘示」を行なって、原告の名誉を毀損した、と主張しました。私の「レイシスト・フレンド」にまつわる投稿は、「原告が日常的に人種的偏見によってある人種を社会的に差別する言動を行っているという事実を摘示している」という主張です。一審判決はこの原告の主張は退けています。私は原告の行為について何も言及していない、名前すら出したことがないのですから当然ですね。
 「事実の摘示」がない場合、仮に私が上念司はレイシストであるという内容の投稿を行なった、あるいは読者がそう読んだとしても、それは「意見ないし論評」に当たると判断されます。一審判決も「レイシスト」は「原告の思想に対する被告の評価」であると読んでいます。しかし、その一方で「特段根拠を付記することなく、 「レイシスト」というそれ自体極めて強い人格非難を伴い、相手方に対し社会的に回復困難な打撃を与えかねない表現で原告を中傷するものであって、悪質といえる」ともしています。
 私はそもそも上念司という人物に「レイシスト」という言葉を向けていないのですから、上念司がレイシストであると判断される根拠を当該ツイートやその前後のツイートで示していないのは当然なのですが。

 ここで先述の仮定条件に戻ると、仮に高橋健太郎が上念司をレイシストと論評したとしても、上念司の言論活動にはそういう論評を招くに十分なものがあったというのが、本裁判における被告弁護側の主張です。神原弁護士がその前提事実を集めて、提出しています。原告が中国人、韓国人、アイヌなどに言及した発言が数多く挙げられています。原告がそこに挙げられたような発言を繰り返してきたこと、「ニュース女子」というテレビ番組の出演者あるいは主催者であったことは、私もネット上で見聞きして、認識してきたことでした。

 東京MXで2017年1月に放映された「ニュース女子」の番組をめぐっては、人権団体「のりこえねっと」共同代表の辛淑玉さんが名誉毀損されたとする裁判を起こし、東京地裁、東京高裁で勝訴しています。2022年の高裁判決では名誉毀損が認められただけでなく、「在日朝鮮人である原告の出自に着目した誹謗中傷を招きかねない」と番組が差別性を帯びていたことも指摘されています。

 上念司はこの裁判で問題となった2017年1月放映の「ニュース女子」の出演者の一人でした。さらに、2018年から2021年にかけては番組の「主催者」(ウィキペディアの記述によれば)でした。私の原告に対する印象においても、このことは大きな要素を占めていました。

 社会学者の樋口直人さんがこの「ニュース女子」裁判で高裁に意見書を提出していますが、その中にとても頷けることが書いてあります。

https://researchmap.jp/read0191792/misc/36333781/attachment_file.pdf

 樋口さんの意見書は「ニュース女子」という番組自体が差別的性格を帯びていたということを指摘し、「スポンサーや視聴者が持つヘイト感情に訴えることで、番組の商業価値を高める戦略を取っている」とも分析しています。それを樋口さんは「戦略的人種差別」という言葉で説明しています。そして、「戦略的人種差別」の特徴として、次の2点を挙げています。
 
1 戦略的人種差別は断固として人種主義であることを否定し、あからさまな人種的冒涜を非難さえする
2 自らの人種差別を否定する一方で、受け手の人種差別的感情を焚き付け、人種による分断をもたらすようにアピールする
 
 この一見矛盾もする2 つの要件を充足するために、戦略的人種差別の言説は「特定の聴衆には理解できるように偽装を凝らした「犬笛」を吹くような」ものになる。スポンサーの意向を汲み、そのような「戦略的人種差別」を展開するのが「ニュース女子」という番組であったと樋口さんは述べています。
 
 樋口さんの分析は本件裁判の一審判決を読み解く上でも示唆に富むものに思えます。というのは、藤澤裕介裁判長は、上念司に対して、このような人物評価を述べているからです。
 「本件投稿1は、人種差別やヘイトスピーチの排除に尽力してきた原告の評論家としての矜持及び社会的信用を毀損し、その社会的評価を低下させるものである」

判決文

 一審の判決文を読んで、多くの人が最も仰天したのはこの「人種差別やヘイトスピーチの排除に尽力してきた原告」という部分だったでしょう。しかし、樋口さんが「戦略的人種差別」の特徴として挙げた「戦略的人種差別は断固として人種主義であることを否定し、あからさまな人種的冒涜を非難さえする」に裁判官がまんまと乗せられたのだとすると、藤沢祐介裁判長がこのような人物評価を述べたことも頷けてきます。
 「ニュース女子」に見られるような「戦略的人種差別主義」は、あからさまな差別表現は避けつつも、「犬笛」的なメッセージを発することによって、ネット上に「犬笛」に呼応した多数の視聴者による差別表現を誘発すると樋口さんは論じています。辛淑玉さんとの事件を例に取れば、番組あるいは番組出演者は「あからさまな人種差別表現を用いて原告を罵倒したわけではない」。しかしながら、「高江ヘリパット建設反対運動を「外国勢力の意を受けた原告らの活動」として提示し、それを原告の民族的属性と関連づけた」。
 これが「犬笛」となって、ネット上で辛淑玉さんに対する苛烈な差別が繰り広げられたのです。当該番組の出演者だった上念司も、他の出演者の「とにかく韓国人がいるわ、 中国人がいるわ、という状況になっている。だから何でこんな奴らが反対運動をやっているのか」との発言に異議を挟むことはなく、そこにオーバーライドして、「親北派ですから。 韓国の中にも北朝鮮が大好きな人がいる」という発言をして、番組全体のトーンを補強しています。
 
 私も過去にツイッター上で、樋口さんが「戦略的人種差別主義」という言葉で説明したようなレイシズム扇動の構造については書いたことがあります。以下、いくつかを採録してみます。

 「レイシズムだ、レイシストだ、とは断定し難いもの、そう断定されることを巧みに避けたものだったとしても、それがレイシズムを、レイシスト達をどれほど煽動するか、ということを私達は考えないといけないだろう。その煽動する力の源泉は娯楽性だということも」
 「「レイシスト」(と明確に看做せるザコ達) 「レイシスト達の扇動者」(それをビジネスにしている有名人) 。後者はレイシストと断定されないように言質には気を配りつつ、「レイシスト達の扇動」効果を狙う」
 「「レイシスト達の扇動者」がしばしば用いるエクスキューズは、自分が語っているのは経済である、政治である、歴史である、批判しているのは韓国という国であって、韓国人ではない、そこに人権侵害はない、というもの」
 「しかし、経済や政治や歴史を語っているだけ、韓国という国を語っているだけ、という中に、「レイシスト達を煽動する効果」は意識的に、ふんだんに盛り込まれている。最大の娯楽性はそこにあると言ってもいい」

 本件裁判はこうしたレイシズムだ、レイシストだ、とは断定し難い形を取ったレイシズム扇動との闘いになったとも言えます。一審判決を下した藤澤祐介裁判長はその巧妙さを見抜くことができませんでした。しかし、「ニュース女子」裁判での樋口直人さんの意見書は、本件「レイシスト・フレンド」裁判をも鋭く照射しています。ぜひ、全文をご一読ください。

 このnoteは3回目に続きます。上念司のアイヌに対する発言とそれに対する一審判決の判断については、今回、書ききれませんでしたので、そこから始めます。
 本件裁判は私個人に対する損害賠償請求と考えると、小さなスケールのものに過ぎないとも思えます。ネット上の名誉毀損の賠償額はたかが知れていますから。しかし、私が本件裁判で敗訴すると、この国の言論や自由や反レイシズム運動の未来に大変に大きな影響が出ます。支援をお願いします。傍聴可能な方はぜひ東京高裁にいらして下さい。日程はツイッターなどでお知らせしていきます。
 また、可能でしたら本件裁判費用へのカンパを下記の口座にお願いします。
 
ゆうちょ銀行 店名:〇〇八(ゼロゼロハチ)
店番:008
預金種目:普通
口座番号:7672875
口座名義人:タカハシケンタロウ
 
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