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感動と好奇心に蓋をしないで

動物園にて。
小学生の団体が来ていた。学校遠足か何かだろう。何学年か一緒なのか、少子化もなんのそのの児童数が多い小学校なのか、かなり多い。
班ごとに分かれて移動してるのだろう。それぞれの班を大人が子ども達を引き連れて歩いていた。

その中の一グループに、50〜60代くらいの女性がついていた。仕草や雰囲気から察するに正規の学校教員ではなく臨時の補助員なのだろう。いわゆるパートのおばちゃんと見た。

そのおばちゃん、子ども達が動物を見つけて「あ!カワウソいた!」とか、「立ってる!」とか嬉々として声を上げてるのに、見るや否やすかさず「はい、見たね。じゃあ次行くよ」と何度も促していた。「遅れちゃうから早くしよう」「次のところ行かないと」とか、マジでまだ2秒くらいしか見れてねえやんって時間なのに鬼の催促。しかも他の動物見てる時も毎回毎回。気になって少しついていっちゃったもん(笑)
高圧的な言い方ではないけれど、とにかくウザいくらい急かす。
その一コマを見て僕はふと考えさせられた。

妄想逞しく想像してみると、そのおばちゃんはきっと時間厳守や段取りよく進めることしか頭になかったのだろうな。
おそらく悪い人ではないだろうし、子どもが好きで働いているんだとは思う。ただ正規の教員より立場が低いから、班の最後尾を任せられていてとにかく遅れないようにということで頭がいっぱいなんだろう。自分の落ち度になるのが嫌だから。
主張や反抗をせずに従順を示して集団の輪に入れて貰おうとする50〜60代の働くおばちゃんって結構いるよね。
「最近物覚えが悪くてなにも覚えられなくてさぁ」とか「もうあちこち痛くて嫌になっちゃうよ〜」とか、聞いてもいない自虐をすることで仕事ができないと責められないように先手を打って、友達感覚の慣れ合いをして若い人に取り入ろうとする感じのおばちゃん、いるよね?
あの、「もう若い人に従います系おばちゃん」って感じがした。いや、全部僕の妄想だけどさ(笑)
怠惰で臆病で保守的な気質だから、班が遅れることで他の教員に嫌な顔されるのを恐れていたんだろうな。動物をろくに見もせずに次、次と子ども達を催促する姿は子どもに一切寄り添わず自己保身しか考えてない印象だった。

職場の雰囲気に問題があるのかもしれないし、すぐ顔に出したり嫌味を言ったりする嫌な教員がいるのかもしれない。だからおばちゃんを悪く言いたいわけでもないけどさ。
だけど言動の原因は自己研鑽を積み上げてこなかった生き方こそが何よりの理由だとも思った。感動や好奇心に蓋をして日常を消化してきたから、せっかくのイベントも一切楽しむ気持ちや感性がなかったのだろう。そもそも動物に興味がないのかもしれない。
わからないけど、動物好きの僕としてはカワウソが立ち上がったりペンギンが泳いだりしている姿を見てもすぐに背を向けて、子ども達を立ち止まらせず歩かせようとしている様子がとっても嫌な感じだったんだよね。
無感動の不感症。目の前の現実ばかりに気を取られて押し込めてきた心。それが言動に表れていた。その大人自身の問題だ。道端に咲く花も、黄昏時に浮かぶ夕陽も、川面に映る樹々の揺らぎも、この世に存在しないかのように今日の仕事に精を出す。僕にはとても真似できないから立派だとも思うけど、なんだか虚しいよなぁ。大人が一緒に感動して喜びを共有するから子ども達の感性が育まれるんじゃないかなぁ。

いや、悪い人じゃないんだきっと。それはわかる。色々大変なこともあったのでしょう。まあだけど、子どもと関わる仕事をしてるならあれは辞めて欲しいなぁ、と思ったのでした。

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