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愛の別名がなんであれ 12話

〜2011.秋〜

舞台上に古橋さんがゆっくりと出てきた。
そしてマイクを手に取ると挨拶をした。
「えー、古橋愛夏です。精一杯歌うのでよかったら聴いてください。それで今日は楽しんでくれたら最高です」
ありきたりな真面目すぎる挨拶の言葉だったが、それまでスマホをいじっていた客も思わず顔を上げた。そんな、なにか引き込ませる芯のある声をしていた。
演奏が始まった。ギター一本弾き語りで古橋さんは歌い始めた。
少し緊張した面持ちでその真っ直ぐに射抜くような瞳を舞台下に向けて、低く響き渡る声で歌い続けた。
僕は思わず前のめりになって聴き入っていた。ギターの技術はわからない。それでも、その歌詞の世界観に魅了された。ほかの客の多くもきっと引き込まれていたと思う。
(これがロックか……)
「飛ぶことを夢見たモグラだけが歌うんだ」
そんな歌詞が頭に残って離れなかった。

全五曲を歌い上げ、演奏が終了した。
今までで一番の拍手が起こった。
大粒の汗をかいて彼女は笑みを見せた。その時に少し目が合った気がした。
舞台に立つ人間の眩しさに圧倒され、僕は羨望と劣等感を強烈に抱いていた。
その後の挨拶は憶えていない。僕は熱に浮かされたようにぼーっと演奏の余韻に浸っていた。その次にもまたきっと別のバンドが演奏をしていたんだと思うけど、まるで聴いちゃいなかった。ただ胸の奥で様々な感情が渦巻いていた。たくさんの色の絵の具を混ぜてぐちゃぐちゃにしたような、形容しがたい色の感情ができあがっていた。小さなキャンバスはその色で埋め尽くされていた。

一人で立ち尽くしていた僕のところに古橋さんがやってきた。
「西村君! ああー、緊張した! 今日は観に来てくれてありがとう!」
彼女の声がして、我に返った。
「あ、古橋さん。すごいよかったよ! ホント感動したな。来てよかった」
「ホント? 嬉しいなぁ。誰にも言ってないのに、知り合いが観に来たの初めてだよ」
ドキッとした。気恥ずかしいのと、優越感とが入り混じった。
この熱に任せて、言いたくなった。
「古橋さんに興味があってさ、気になって名前で検索したらライブ映像が出てきたからさ。生で聴きたいと思ってこっそり観に来ちゃった」
「え、私に?(笑)それは嬉しい。けど興味持ったらまず検索って、ホント西村君陰キャ丸出しだね(笑)」
ぐうの音も出ない……
「いやウソウソ! 冗談だよ。本当に素直に嬉しいよ。ありがとう」
「な、ならよかった…… こちらこそこんなステキな演奏を観せてくれてありがとう」
そうお礼を言ったら、古橋さんが思いついたように言った。
「ところでさ、この後まだ時間ある?」
「え、うん。もう帰るだけだし」
「じゃさ、ちょっと待っててよ。一緒にご飯でも食べて帰ろー」
古橋さんからの提案に内心湧き立った。
「いいよ。待ってるね」
嬉しさを押し殺して自然な感じで了承した。僕が犬なら千切れんばかりに尻尾を振っているだろう。今さら素直にならない意味なんてないことは頭ではわかっていたのに恥ずかしさに負けて本心を隠そうとしてしまった。
古橋さんが帰り仕度をしに関係者室の中に戻ると、思わず一人でにやけてしまった。


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