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何とかならない時代の幸福論、を読んだ。

何とかならない時代とは、どんな時代なのだろうか。そして幸福とは何か。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルーで、えらく感銘を受けたブレイディさんと、鴻上さんの共著。多様性と社会的包摂の2つのキーワードで二人の対談が進んでゆく。

そういえば4月から息子が中学生になった。奥様(あえて敬称)は、みんな穏やかで校内の雰囲気が良いと仰っていた。確かに見る限りでは皆、大人しく乱暴な感じは全くしない。

しかし、多感な時期の彼らの内面にマグマのように煮えたぎるエネルギーはどこに?と余計な心配を抱いてしまう。本著でも、ルールを遵守することが当たり前になり過ぎた若者にショックを隠せない、鴻上さんの生々しい体験が綴られていた。

世間と社会の違いについても興味深い考察があった。お互いに知っている関係性で生まれるのが世間。お互いに見ず知らずの人間が集まるのが社会。今の日本では後者の社会が著しく疲弊し弱体化しているようだ。いっぽうで「世間認定」がなされると、非常に快適になるという。

話題が逸れるがこれは先日読了した田舎暮らしの教科書、「世間認定」については、まさしく田舎暮らしに通底するので軽く紹介しておこう。

学校教育における教科書至上主義的な思考にも警鐘を鳴らしており、それは非常に納得のできるものだった。小学生〜高校生くらいのお子様を持つ方々には是非とも読んでいただきたい1冊。

最後に、シンパシーとエンパシーは違うという部分にグッときた。具に書くとネタバレになってしまうが重要なので引用したい。

シンパシーというのは、もっと感情的に同情したり、同じような意見を持つ人に共鳴したりすることですよね。SNSなら「いいね」ボタンみたいなもの。でもエンパシーはそうじゃなくて、対象に制限はない。自分と同じ意見を持ってない人でも同情できない人でも対象になり得る。この人の立場だったら自分はどう感じるだろうって想像してみる能力...アイビリティって英英辞書には書いてるんです。*本文より

きっと難しいことは何もなくて、最後にある「想像してみる能力」つまりは思い遣り、「思いをそこに遣る」ことでしかないのだろう。

なんだか最近、読書感想文ばかりになってしまっているので、たまにはフザけた内容のnoteでも投稿してみたい。読書しかネタがないという寂しいおじさんなのである。

【追記】突然。夏目ナナが気になりwikiで調べて記事末尾のinstaアカウントへジャンプ。ホォロワーが7,300人と意外と少なく、時代の流れを感じた。なんのこっちゃ。

読書好きが高じて書くことも好きになりました。Instagramのアカウントは、kentaro7826 です。引き続きよろしくお願い申し上げます。