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#0564 劇的な結末じゃなくても-ぐうたら村で感じた保育においても大事なことー

大友さんのコンサートで保育者の研修聖地ぐうたら村へ

一言で表すなら『もう最高だった
なんやけど

これが何故最高だったんかを保育と無理矢理絡めて考える回。

あえて言うなら思い描いた劇的な展開や結末じゃなかった今回。

「星降る夜のなかで」と題してあったし、
もちろん満点の星空を期待はしていたけど、、
めちゃくちゃ曇天だったこと。

娘の体調優先で最後まではコンサート参加出来なかったこと。

コンサート終了後の交流会参加出来なかったこと。

それらは思い描いた劇的な展開とか結末じゃなかったんやけど、、、
でも僕は『あぁ最高やなぁ』って思うん

これは、どの選択もどんな結末も全部自分が決めたことやからかなぁと思ってる。そこに自分がちゃんと生きてるって感覚。

実は娘を宿に連れて帰って、
寝かしてからもう一回ぐうたら村に向かって車走らせた。
交流会の最後くらい参加できそうな時間やったから。

ところが交流会には参加出来ないという結末が、、、

なぜか。

めちゃくちゃ霧が濃くて、、、
霧アンド霧雨で視界ゼロ。

ぐうたら村周辺なんて街灯ない農道みたいなもんやから全く道も溝も見えず。住所もあやふややから車のナビでも出ないし、スマホのMAPで『着いた!』ってなったのにあたり一面畑で『ちゃうやんけー』を繰り返す。

昼間は嫁さんナビand視界が助けてくれてやっとこさっとこ辿り着いたのに、、、
普通に濃霧の中迷子になったん。

見知らぬ土地で
アラフォーのおっさん1人
濃霧と霧雨の中

迷子

広い道路でこの視界。
ナビは「左」と言うけれど、、、

早く合流したい焦りの気持ちを抑えて
バクバクの心臓に「まあまあ、、焦りは禁物」とか言い聞かせつつ

何回もナビ設定して、、、
視界ゼロ。

ついにはおなじところをぐるっと回ってたことに気づき。
昔の人はこういう体験を狐とかのせいにしたんやなぁ。
あぁ気持ち分かるわw
とか思いながらも時間だけが過ぎていく。

そして、、、
勇気ある撤退


まぁそんな迷子の詳細はええねん


大事なのはいついかなる時も、
『あぁ生きてるなぁ』と自分が実感していたこと

家族と来れた時点で最高やし
曇天でも大友さんの演奏は最高だったし
星は出なくても、一瞬だけ出た月がめちゃくちゃ綺麗で最高やったし
それに合わせてfly me to the moonを即興で奏でる大友さん最高やったし
「“おつきさまこんばんは”やなぁ」ってつぶやく息子最高やったし
ピアノよりも虫探しな息子も最高やったし

濃霧と焦りと不安の中やけどハラハラどきどきしてるのも最高やし。

繰り返しになるけど、大事なんは、根底にあるのはいついかなる時も、
『あぁ生きてるなぁ』と自分が実感していたこと
なんだなぁ。

で、これは保育でも一緒かなぁって常々思ってて。

『わぁこんなんなったらええなぁ』とか
『こんな展開なったらドラマチックー!』とか
『こんなすげー結末なったぜー!』とか

期待したりして。
(実際そうなることもたくさんあるんやけど)

そんな結末よりも大事なんが、やっぱりそれまでの
プロセスにおける『生きてる』って実感なんよ。
思い描いた展開じゃなくても、、劇的な結末じゃなくても、、、
なんかそこに『あぁ自分は今生きてんだなぁ』って実感があるかどうか。

保育の肝はそれに尽きると思ってます。
しらんけど。

それでは今日も遊びあふれる一日を✨


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