3月11日
僕がちば食べる通信を始めたきっかけは、東北食べる通信の読者だったからですが、その東北食べる通信を読み始めたきっかけは間違いなく、震災があったからだ。
両親の実家が岩手県、父親が昔の三陸町の漁師の家、母親は少し内陸に入った住田町で農業だったり、金物屋をしている家だった。親戚は大船渡や陸前高田に多くいる家だ。
震災があった時、僕は東京で銀のさらという宅配寿司の店長をしていた。最高で60連勤ぐらいしていたので、震災があった後、すぐに岩手には行けなかった。そんな中、何か出来ないだろうかと思っていた時に、東北食べる通信が創刊した。東北に、それも一次産業の生産者にお金が落ちるならばと思い、コンセプトなどを知らずに申し込んだ。
それが、震災の復興につながるかどうかはわからないが、やってみた。
そして、僕は数年後にちば食べる通信を創刊することになった。
先日、息子と僕の母親と3人で車に乗っている時に、母親が親戚のおばさんに電話をしていた。そのおばさんの息子は僕より年上で、小さい頃は遊んでもらっていた。「はとこ」という関係だ。
陸前高田に住んでいたこともあり、震災の津波で帰らぬ人となり、今も見つかっていない。その話を電話でしていた。
岩手に行くと、他の被災地もそうかもしれないが、ここまで津波が来たという看板が立っている。父親の実家は、漁港の横の高台にあるが、その目と鼻の先まで水が来たそうだ。マンションでいえば、4階ぐらいの高さだと思うが、そこまで来るのは想像できないが、実際に来た。
実際に見ると、色々と感じることはある。
ただ、それを見に行ってほしいのではなく、岩手でも他の地域でも、その土地土地でおいしいものがあったり、きれいな景色があったり、そして暖かい人がいたりといろんな魅力がある。
その中で、僕は「おいしい」が生み出す力はすごいと思っている。実家でとれるウニを海水で洗って生で食べるとご飯が何杯もすすむ。
家の裏の川で取れる天然の鮎は頭から尻尾まで食べることができる。
そして、じいちゃんばあちゃんが育てた米を、おいしい井戸水で炊いたご飯は本当にうまかった。
そのおいしさを知ったからこそ、食に興味を持ったのは振り返ってみると間違いない。
そして、3月11日が来るとやっぱり色々と考える。
自分に何ができるのかを考えることが大切で
その考えたことを一つでも少しでもやっていきたい。
岩手に帰ったのはもう何年前だろう。コロナになって行けていないが、まずは、今年は両親を連れて帰りたい。
今はまだ、岩手のことをする余裕はないかもしれない、がそれができるように、まずはもっと千葉の一次産業にもっと深く関わっていきたい。
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