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今までで最高にうまかったもの

よく人生最後に食べたいものは何か?とか、今までで一番美味しかったものは何か?みたいな話をすることってあるんじゃないかと。

いつからかはわからないが、多分大学生ぐらいから僕が選ぶ料理は実は変わっていない。

他の記事にも書いた通り、僕の両親は岩手の出身。

母親が岩手県の住田町というところで、家の裏に気仙川という鮎釣りが好きな人はよく知っているらしい川が流れている。

小さい頃から毎年夏になると、夏休みのほとんどは、ここで過ごしていた。妹が生まれるときは、お母さんが田舎の病院で産むために、僕はおじいちゃんおばあちゃん、ひいおばあちゃんとここにいた。

そんなこともあって、毎日じいちゃんが僕を連れていろんなところに行くので、小さい頃から僕のことを知っている人が多かった気がする(それだけ人もいないというのもあるかもしれないが)

今は、それこそコンビニがあったり、少年ジャンプも送れなく発売されるが、僕が子供の頃はやっぱり本当に田舎という感じだった。子供ながらに、何で田舎に住むんだろうと思っていたぐらいだから、もともと住んでいる若い人が都会に出るのは何となく理解はできた。

当時(30年前ぐらい)はまだ、今みたいにミネラルウォーターを飲むということが無かった(もしくはうちはそうでは無かった)が、僕は田舎の水は美味しくて飲んでいた、井戸水を汲み上げていたので、冷たくて本当に美味しかった。ジュースを飲むよりも水が美味しかった。

うちのおじいちゃんは元々は農水省の役人で、昔は田舎で学校に行くというのが珍しいところで、高校にも行っていた。ばあちゃんも飛び級で高校に行っていたという話を聞いたことがあって、小さい頃の夏休みの宿題は、祖父母に見てもらっていたりした。

僕が生まれた頃にはもう、定年なのか、役所は辞めていて、家では金物屋をやりながら、田んぼや畑、裏の蔵で、自家製の味噌を作っていたりした。昔は豚も飼っていたらしい。

僕の母親は3人兄弟だったので、お盆になり全家族が集まると結構な人数になったが、僕はいつもおじいちゃんとおばあちゃんに挟まれて寝ていた。

明け方、4時ぐらいにじいちゃんは起きて田んぼの様子を見に行く。たまに気づくことがあり、朝から田んぼを見に行くのって大変だなと子供ながらに思っていた。

そう、大変だなとしか思っていなかった。

美味しいお水のあるところで育った米なので、普段、家で食べる米とは味が違うのは明らかに理解していた。

そして、ばあちゃんが家で作った米に家で作った味噌を塗って焼いてくれる焼きおにぎり(僕らは味噌おにぎりって言ってた)が僕がこれまでの人生で最高にうまかったものだと思っている。

ただ、何でそう思ったんだろうと最近になって考えるようになった。

これまで外食業界に長くいるので、多分美味しいものに触れる機会は多くあり、焼きおにぎりにしてもやはりプロの方が作るものは美味しい。同時に比べる事が出来ないが、僕はばあちゃんが作ったものの方が美味しいと思ってしまっている。

何でなんだろう。

多分、その答えの一つが食べる通信のコンセプトにあるんじゃないかと思う。

水や空気が美味しいところで育った作物はそれだけでも十分に美味しいのは間違いない。そこにプラスされているのが、作り手の顔や、その人のことが見えていることなんじゃないかと。

じいちゃんとばあちゃんなので、僕は臨まなくてもその環境にいることができた。つまり、幸せなところに僕はいたんだと。作物を作る人、料理を作る人、両方の人が孫に対して想っていることをよくわかっているから、何と比べても美味しいのだ。

じゃあ、これからも僕はずーっと味噌おにぎりがベストなのかと言うと、多分そんなことはない。順位をつけるのは難しいが、多分同率で並ぶものが出てくる。それは、今までは深く知ることがなかった、作り手の想いを知った上で食べることができるからだ。

料理人の人もぜひ扱っている食材の作り手のことを知ってほしい。多分それがどんなスパイスよりもおいしくできる。

また、ぜひ食べる人のことも知ってもらえると。これは本当にすごいことになる。

そうやってそれぞれの立場で「知る」事が、それぞれが「幸せな気持ち」になり「豊か」になるんだと思う。

ちば食べる通信を通して、僕は味噌おにぎり以外の人生最高にうまいものを見つけることになる。楽しみでしかない。

僕だけでなく、ぜひ多くの人に人生最高のおいしいものを沢山の見つけてもらえたら、それは料理だけでない、もっと素晴らしいものが手に入っていると思う。

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