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「青天を衝け」レビュー⑱ 義理合一その2

 おばんです(朝読んでいる方は、おはようござりす)。
 せっかくなので、渋沢栄一が主人公の大河ドラマ、「青天を衝け」で気になったところを考察していきたいと思います。
 とは言っても、あらすじなどは他の方々がわかりやすく書いているので、僕が気になったポイントだけ見ていきます。

 前回に続き、第18話の考察の続きです。

↓前回の記事

殖産興業の発案

 渋沢栄一は兵隊募集の役割をこなしながら、別の作戦を考えていました。一橋家の財政状況の改善です。具体的には3つの策を挙げています。

 ①廻米の法を改めること
 ②播州の木綿を一つの物産としてこれに方法を設けること
 ③備中に硝石の製造場を開くこと

 兵隊募集が軍事・強兵の策であれば、財政政策は経済・富国の策です。渋沢栄一自身、 軍事より経済の方が向いていると思っていたようです。

 たとい小さい領分ながらも経済上の道理から少しでも収納を多くして、領分の者も富むようなことを工夫してみたい、これはつまり自分の本領であると考えがついたので(中略)
 
 すでに兵備のことは自分の建言で歩兵の組み立てはできたけれども、その実、兵事は自身適当の仕事ではない。むしろこの瑣少なる領分ながらもそれぞれ仕法を立ててその富を益して、したがって一橋家の収納を多くするような工夫がありそうなものだから、その方へ力を入れて仕事したほうが面白くはないかという考えが起こってきた。
(『雨夜譚』 産業奨励と藩札発行 殖産興業の発案 より)


道徳経済合一説

 後年、渋沢栄一が83歳のときに講演した「道徳経済合一説」という演説があります。渋沢栄一の肉声が聞ける、貴重な演説です。
 その演説のなかでは、当然演題のとおり「道徳と経済の一致」について話しているのですが、「経済は進化しているのに、道徳は進化していない」という趣旨の話があります。

 ここで、前回考察した 「小四郎様(水戸天狗党のトップ)たちは忠義だけを尊び、懐(経済)を整えることを怠った。両方なければダメなのです。」を思い出しました。

 幕末は道徳(思想)が進歩して経済が進歩していなかった。現在(大正)は経済が進歩して道徳が進歩していない。当時とは逆の状態だ。と考えていたかもしれません。

 僕は、今の世の中は、経済偏重だと思っていますが、また道徳偏重の時代がやってくるのでしょうか。いやいや、偏重じゃなくて、両立の時代をつくっていかないと。

 しかるに、世の中がだんだん進歩するにしたがって、社会の事物もますます発展する。ただし、それに伴うて、肝要なる道徳仁義というものが、ともに進歩して行くかというと、残念ながら「否」と答えざるを得ぬ。ある場合には、反対に、大いに退歩したことがなきにしもあらずである。これは、果たして国家の慶事であろうか。およそ、国家はその臣民さえ富むなれば、道徳は欠けても、仁義は行なわれずともよい、とはだれもいい得まい、と思う。
(肉声で聞く渋沢栄一の思想と行動 道徳経済合一説 より)


参考文献


「青天を衝け」レビュー記事は↓

自己紹介記事は↓


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