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「青天を衝け」28 あのネタっぽいところは史実か?

 おばんです(朝読んでいる方は、おはようござりす)。
 せっかくなので、渋沢栄一が主人公の大河ドラマ、「青天を衝け」で気になったところを考察していきたいと思います(しばらく更新できてなくてすみません…)。
 とは言っても、あらすじなどは他の方々がわかりやすく書いているので、僕が気になったポイントだけ見ていきます。

 今回は、観ていた方は気になったかも知れない、あのネタっぽいところ3点を、史実かどうか考察します。

①伊藤博文と渋沢栄一の焼き討ち自慢

 僕が調べた限りだと、この会話を裏付ける文献を見つけることができなかったので、フィクションと思われます。
 確かに、役所の中でこんなこと堂々と話してたら、ヤバいやつらだな…。


②大隈重信の「であーる」

 これは史実のようです。

「大隈が口舌の徒であるという評価は、明治・大正の人には常識だったようである。大隈は、しばしば、その演説を『我が輩は』で始めて、『あるんである』、時としては『あるんであるんである』で結んだ。ただの口癖と言えばそれまでであるが、少なくとも、言葉を節して、一言半句無駄なことを言うのを忌む人には、とうていできないことである」とある
(Wikipediaより)


③大蔵省の場所を間違えて大啖呵、そのあと土下座

 この一連の場面は、裏付けの文献を見つけることができなかったのと、以下に書く「改正掛かいせいがかり発足の必要性」を大隈重信と話したときは、大隈と2人きりだったと思われることから、フィクションと思われます。

 「改正掛かいせいがかり発足の必要性」については『雨夜譚』に書いてあったので、引用します。

 その後再び大隈を訪問して、過日のご説諭について自分も意を決して十分勤める覚悟はしましたが、(中略)
 現今目撃したありさまでは、過日ご説を承った諸般の改正はとうてい為し得ぬことであろうと考えます。なぜと申せば、省中はただ雑沓を極むるのみで、長官も属吏もその日の用に逐われて何の考えをする間もなく一日を送って、夕方になればサア退庁という姿である。
 このさい大規模を立てて真正に事務の改進をはかるには第一その組織を設くるのが必要で、これらの調査にも有為の人才を進めてその研究をせねばならぬから、いま省内に一部の新局を設けて、およそ旧制を改革せんとすること、または新たに施設せんとする方法・例規等はすべてこの局の調査を経てそのうえ時のよろしきに従ってこれを実施する、という順序にせられたいことでありますと述べたところが、
 大隈も大いにこの説に同意の様子で(後略)
(『雨夜譚』在官中の事業 改正局の新設 より)


 とはいえ、僕が調べた限りなので、元ネタがあるかも知れません。知っていれば、ぜひ教えてくださいm(_ _ )m


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