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たかぎスポーツクラブとの新たな関わり方

 総合型地域スポーツクラブ マネジャーの上杉健太です。2020年12月にたかぎスポーツクラブを退職し、新たな総合型地域スポーツクラブの立ち上げに挑戦しようとしています。
 今日は、たかぎスポーツクラブとの新たな関わり方について、少し現実味が増した話があるので共有しておきたいと思います。が、最初に言っておくと、そこの部分はまだ決定していない部分なので、有料で隠させていただきますので、予めご了承ください!

 まず、私と一般社団法人たかぎスポーツクラブの関係を改めて簡単に時系列でご紹介しておきます。

①2013年2月 喬木村教育委員会が主導し、総合型地域スポーツクラブを立ち上げる。
②2013年4月 喬木村総合型地域スポーツクラブの運営が始まる
③2013年度中 喬木村が地域おこし協力隊として総合型地域スポーツクラブマネジャーの募集を行う
④2013年12月頃 転職活動中だった上杉が募集を見て応募し、採用される
⑤2014年4月 喬木村地域おこし協力隊として、喬木村総合型地域スポーツクラブの運営に関わり始める
⑥2015年4月 たかぎスポーツクラブに改名する
         上杉がサブマネジャーに就任する(副業)
⑦2017年4月 地域おこし協力隊の任期満了により、上杉が専従マネジャー(サブ)になる
⑧2017年6月 一般社団法人たかぎスポーツクラブとなり、上杉は理事兼・サブマネジャーとなる
⑨2018年4月 喬木村が複合施設「みんなの広場アスボ」を建設し、クラブハウスとして運営を始める
⑩2020年3月 上杉が幹部に退職の意向を伝える

・・・・・・・・・。いやー、こう書くと、私ってたかぎスポーツクラブにおいて何者でもないですね。サブのマネジャーとしてちょこちょこお手伝いしていた人みたい。まぁ外から見たらそうなのかもしれませんね。。。
年表に出てこない、隠れた歴史みたいなものが多いのは当たり前ですが、こういうことですね。
いやー、なんかこれ、悔しいですね。
まぁでも、私はこのクラブを成長させた最も重要なキーパーソンだったと自分では思っていますし(全員がそれぞれそう思っていたらその組織は最強!)、退職の意向を伝える前までは、他の幹部の皆さんの立場を飛び越えて、自分の責任で色々なアクションをしてきたおかげでものすごく成長したと思っているので、完全に自分の為になっているからいいんですけど、ちょっとは”歴史に名を刻みたい欲求”みたいなの出てきますよね(笑) でもそれは、たかぎスポーツクラブの体制では無理なので、私は新しい挑戦に向かうことにしました。

 ただ私には、たかぎスポーツクラブについて心残りが3つあります。

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総合型地域スポーツクラブや筆者の挑戦のリアルな実態を曝け出しています。自ら体を張って行ってきた挑戦のプロセスや結果です! 総合型地域スポーツクラブをはじめ、地域スポーツクラブの運営や指導をしているかた、これからクラブを設立しようとしているかた、特に、スポーツをより多くの人に楽しんでもらいたいと思っているかたにぜひお読みいただきたいです!

総合型地域スポーツクラブのマネジメントをしている著者が、東京から長野県喬木村(人口6000人)へ移住して悪戦苦闘した軌跡や、総合型地域スポ…

総合型地域スポーツのマネジメントを仕事としています。定期購読マガジンでは、総合型地域スポーツのマネジメントに関して突っ込んだ内容を毎日配信しています。ぜひご覧ください!https://note.com/kenta_manager/m/mf43d909efdb5