見出し画像

山雅の歴代選手を振り返る①

画像3

僕は2011年の後半から山雅を知り、応援してきました。
その中で多くのサッカー選手を応援してきました。
1つのクラブに拘って応援することで、今まで世間では全く話題にならなかった選手と出会い、プレー自体はもちろん、その選手のパーソナリティな部分を知ることができます。選手としても人間としても応援したくなるような選手が何人かいて知らず知らずの内に情が芽生え、この選手と一緒に高みを目指したいという気持ちにさせてくれます。
それがJリーグが行っている地域密着の良さなのかなと思っています。

僕が応援している松本山雅FCにもそういった選手がいるので、不定期ですが紹介していこうと思います。

記念すべき第1回の選手は
塩沢勝吾 選手 (2011~2015)

画像1

(Jリーグ公式より)
長野県上田市出身。山形大学卒業後、J2水戸やJFL佐川印刷でプレーし、2011年より松本山雅FC加入。2012年以降は反町体制の主力として活躍。2015年には背番号10を背負った。その後、2016年にJ3長野で2年間在籍。2018年にアルティスタ浅間に移籍。
今年、アルティスタ浅間にて引退。

この選手のプレースタイルを一言で言い表すなら「泥臭い」

2012年、J2昇格を果たしたチームで攻撃を牽引するのは片山、新加入のエイジソンかと誰もが予想し、塩沢選手は3番手からのスタートでした。
開幕7試合を消化して1勝1分5敗。チーム全体で2得点11失点と得点が取れない、個のクオリティにおいてJ2の厳しさを突きつけられていました。

そんな中で迎えたアウェイでのロアッソ熊本戦。
塩沢選手は初スターティングメンバーを勝ち取ります。
すると、前半39分に塩沢選手のゴールでの先生に成功。その後、鐵戸選手・多々良選手のゴールで追加点。0-3の無失点・複数得点で勝利を収めました。
その後、塩沢選手はスタメンに定着し、ジェフユナイテッド千葉戦、町田ゼルビア戦と1点を死守する戦いを見せ3連勝。
この頃から、徐々に山雅スタイルが確立され始めました。
その中心には、塩沢選手がいました。
2013年には長沢選手、カベッサ選手。2014年にはサビア選手。
ライバルが加入してスタメンを奪われようとも不死鳥の如くスタメンに返り咲きました。練習からとにかく全力を尽くす。練習で追い込みすぎて試合日にゲッソリしていることはよくありました。

よく走り、よく競り、前線からのプレス、チームの為に全力を尽くす。
反町体制での「山雅のワントップ」のモデルを気付いた選手で、他の選手がスタメンだと物足りなく思う程、塩沢選手の献身性は群を抜いていました。

信州の誇りとして2015年には背番号10を背負い、クラブ史上初のJ1に挑みました。オビナ選手の加入もあり、カップ戦4試合と出場は限られましたが松本山雅に確かな存在を残しました。

そして、2015年シーズン終了。惜しまれながらも退団となりました。

間違いなくJ昇格後、松本山雅FCの快進撃を支えた一人です。
謙虚で、常に直向き。そんな性格が表れたような愚直なプレースタイル。
華やかさはないけど「シオがあんなに頑張ってるんだから」と僕らファンを1週間また勉強や仕事を頑張ってアルウィンに応援に行こうと思わせてくれる泥臭さ。
僕が山雅のベストイレブンを組むなら必ず入れる選手です。

第2の人生での活躍を祈っております。
現役生活お疲れ様でした。

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?