走る道具から考える、フィールドドリブン  第1回:フランスのワイン文化から考える、テロワール

まえがき
 私の職業はランニングシューズの販売です。
ここ数年のランニングシューズの業界は、面白くありません。閉塞感を感じます。某アメリカのスポーツのブランドの一強です。それ自体は悪いことではありません。普段、走ることに関心の無い方にも、厚底シューズなどの話題を提供出来たことは新しい可能性を感じました。ですが、その結果他のブランドも近いシューズを出さなければ、ランナーから見向きもされない状況になりました。殆どのシューズブランドは、まるで大喜利のお題のように、後出しになればなる程、シューズの評価とは違う次元で、ブランドの世界観の浅さが垣間見え、陳腐化していくように、私の目には映りました。

 10年前は、いまほど各ブランドの明暗が分かれていませんでした。シーズン毎に、メインとは違う、実験的な遊び心あるラインが溢れていました。例えば、当時はスポーツをライフスタイルとして着用するスタイルが定着していなかったこともあって、各ブランド試行錯誤のライフスタイル提案は、メインの客層と違う、別の客層へのアプローチとして機能していました。ところが、最近はブランドの勢力図の固定化が著しく、元気の無いブランドはメインであっても、予算も工夫も無い消化試合のような提案をし続けています。対して、力のあるブランドは、メインでは機能的かつブランドの世界観としても新しい提案を出しています。ですが、遊びのラインは、今となっては『懐かしい』10年前のライフスタイル提案の蒸し返しで、遊びが、遊びになっていないのです。ある意味堅実な攻め方といえます。ですが、これは10年間ブランドのお客様が変わっていないことを意味します。全く持って面白くありません。このままでは、同じようなところをグルグルまわり続けて、凄くつまらない業界になってしまうのではないでしょうか?私は、そんなわだかまりをずっと抱えています。

 先月、共同マガジンのメンバーが、お気に入りのランニングシューズをハンバーガーに喩えたら?、という内容の記事を書いてくれました。
シューズの特徴を捉えた、非常に凝った写真が印象的でした。
この記事のアンサーとして「ハンバーガーの次だから、そのサイドメニューに相当する文章を書いて欲しい」とお願いをされました。
15年以上スポーツ業界にいる自分にとっては、シューズに関連した周辺商品をオススメするなど朝飯前です。すぐに、具体的な商品の組み合わせを数パターン思いつきました。ですが、落ち着いて考えてみました。
頭に浮かんだ数々の組み合わせは、そもそもブランドのシューズから派生した、足元から頭の先まで、パッケージされたラインです。
公式オンラインショップのリコメンドと、何が違うのでしょうか?

 このパッケージの何が新しいのか、それ自体を説明する意味はあるかもしれません。ですが、そんな文章はSNSのタイムラインで書けば良いと思います。業界側の人間として、そんな当たり前のことを書くことが、ユーザーへの応答になるのでしょうか?何日か悩みました。その結果、考えついたのは、業界が忘れつつある実験的な試みを、新たな切り口で届けることなのではないか?、と考えました。
つまり、新たな可能性の兆しが見える「周辺のモノ」を語り尽くすことで、全く別の「中心にあたるモノ」を浮かび上がらせようとする試みです。それが、エンドユーザーに近い遊び手として、業界に関わり続けた僕の、サイドメニューとしてのアンサーです。

「周辺のモノ」から、走る道具を考える

 そもそも、なぜこの様な回りくどいやり方をするのでしょうか?
それは、私が長くスポーツ用品の販売に携わってきたからだと思います。
スポーツにおける道具選びとは、目的に特化させながら、個人の潜在的なニーズを掘り出して、解決法を提案するのが理想とされます。特に重要だと考えるのは、潜在的なニーズを掘り出すことです。20代前半に勤めていた、アウトドアショップの先輩のある言葉がずっと頭に残っています。「お客さんが本当にしたいことを聞き出せれば、販売の仕事は8割は終了だ。後は目的に応じた道具を薦めれば良い。」私はこの言葉を、「問題は道具が解決する。販売員に出来るのは、どこまで問題を拡げられるかだ」と解釈しました。なぜなら、道具の説明に嘘はつけません。ですが、道具を使う状況はいくらでも作り出せる訳です。(当時は売上さえとってれば、何をやっても許されたので売上に飢えていました。)
ちょっと、何を言っているか分からない人もいると思うので、説明します。
2000年代のアウトドアギアは、最先端の技術の結晶でした。この最先端の道具を使って、いかに遊ぶか、というのが流行っていたと思います。ウルトラライトの流れもここにあると思います。今の感覚でいうと、新作のiPhoneやGoProのレビュー動画をあげるような人が、日本初上陸のアウトドアギアの使用レポートをブログにあげていたような気がします。話を戻すと、遊び方の提案が出来て、いかに膨らませることが出来るか。販売の仕事にとって、いつの時代も必要なスキルだと思います。

 スポーツの道具で、最も個人差があって正解の無いような道具といえば、靴だと思います。この個人差のある複雑な道具選びにロジックを見出せれば、道具を使う状況をより広くイメージ出来て、道具の可能性を引き出せると考えました。そのロジックを見つける為に、職を変え、現場を変えて、自分なりの工夫が活かせる手法を探してきました。例えば、足と靴の最適な組み合わせの法則性を知りたくて、靴の付属品であるインソールをカスタマイズするメーカーに勤めていた時期もありました。在籍していた期間は2年程でしたが、運良くランナー用のカスタムインソールの商品企画に携わることが出来ました。私自身が走っていること、モノが好きで道具に対する評価が煩いこと、小売店やユーザーとの接触頻度が高いこと。これらの理由と、社内に走ることに関して詳しい人間が居なかったこともあって、スペックに関しては僕のやりたいようにやらせて貰えました。

 また脱線をしますが、ランニングシューズのモデルチェンジについて説明します。モデルチェンジは、ほぼ毎年行われていますが、基本的には『前モデルから更にアップデートされた!』という、謳い文句をつけることになっています。個々のモデルの改良については、それ自体は確かなことなので否定するつもりはありません。ただ、毎年劇的な進化を遂げることはありません。例えば、主要ランニングブランドのフラッグシップモデルは毎年モデルチェンジを行いますが、靴底にあたるアウトソール部分は、量産の都合上もあってか、近年は2年に1度の変更が主流となっています。毎年変更されるのは、アッパーと呼ばれる足を覆う部分です。(ネットや店頭で観ると、毎年新作のように観えるのはそれが理由です。)この場合よくあるケースは、『NEWモデルのソールは新機能が搭載されたので若干重くなったが、アッパーの素材改良とフィット感の改良を含め機能面はトータルでは向上している』→『ソールは前作を引き継いでいるが、アッパーの素材の軽量化により全体の軽量化に成功。アッパーデザインはブランドの過去のモデルを彷彿させる仕様でブランドアイデティティを強調。』だいたい、このような文言でモデルチェンジを繰り返しています。残念ながら、ランニングシューズの問題設定は、機能面のアップデートばかりに注力しています。しかし2017年、NIKEのヴェイパーフライ、俗に言う厚底シューズの発売はランニングシューズ市場に新たな息吹を吹きこみました。始めはキワモノ扱いされていましたが、新しいモノ好きのランナーを中心に、『多くのランナーに恩恵をもたらすシューズである』という、認知が広まっていきました。痛みや故障からランナーが解放されるのは素晴らしいことだと思います。

 話をインソール開発に戻しましょう。新商品のスペックを決める時、私が特に気にした点は、「この製品をどのくらいの期間売り続けるのか」ということでした。
会社から、おおよその販売期間を聞いた事で、この厚底シューズとランナーのマッチングを最大源に高める方向で考えることに決めました。何故なら、全く新しいコンセプトの初期モデルは、その特徴的で先鋭的な部分が仇となり、既存のシューズの完成度に頼りきったランナーには齟齬が発生する可能性が高いからです。相性が良ければ、初めてランニングシューズを履いて走り出した時のような、新鮮な感覚を取り戻すランナーもいます。ですが、それは一部のランナーで、大多数のランナーは『やっぱり、自分には無理だった…と』諦めるケースが多いと思います。ですが、多くのランナーにとってこのシューズを履きこなすことが、走りのパフォーマンスアップに繋がる、分かり易い指標となりつつありました。それを踏まえ、前述の通りランニングシューズのモデルチェンジは段階的であることを考慮すると、10年間は、つまり2027年までは、厚底を扱い易くする方向にカスタマイズするコンセプトで戦えるだろうと判断しました。(今でも、その寿命は有効だと思っています。)最終的な商品と同じ仕様になった段階で、以前からインソールを提供し、意見を貰い続けている契約ランナーに試して貰ったところ、「今までのインソールで感じていた違和感も感じず、最高の使い心地で間違いなく進化している!」というお墨付きを貰えました。発売後はインソール扱い店の評判も良く、カスタムインソールということもあって、インソール成型の意匠も反映し易く、ランナーだけでなく専門店のスタッフにも喜んで頂いたのは嬉しかったです。

 私が「周辺のモノ」からのアプローチに可能性を感じたのは、これが最初の経験でした。この手法なら、アカデミックな素養の無い自分でも、合わせ技で自分なりのやり方を突き詰めていけるのではないか、と考えました。

フランスのワイン文化から考える、テロワール

 開発したカスタムインソールは小売店の評判も良かったです。カスタムインソールというのは、既存のタイプでは足にフィットしない為に、自分の足型に合わせ熱成形を施すことで、サポートとフィット感を付与するパーツです。サポート力はインソール素材の厚みに比例します。サポート力を上げようと厚い素材を用いると、シューズ内でズレが生じます。フィット感が悪くなるのです。このジレンマを解消する為に、社内で扱える最も薄い素材の組み合わせと配置をシューズの形状を考慮することで、サポート力とフィット感を高い次元で両立することが出来ました。薄型である事は、成型のし易さと好みで別途パーツを添付するなど、成型方法の幅を拡げることも可能です。この選択肢の広さは、職人気質の多い専門店のベテランスタッフにも受け入れて貰えることが出来ました。この気付きは、僕自身が営業として小売店の店頭に立ち、シューズを販売しながらインソールの成型を行う中で、既存のカスタムインソールへの不満から、着想を得たことが始まりです。自分は特定の現場に深く関わることで、問題を考えるやり方が性に合っていると思いました。
この考え方を掘り下げるために、やや突拍子もないかもしれませんが、全く別の職種から、この先のやり方を学びたいと思います。

 モノとヒトの仲介を担う職業、尚且つその文化と土地とを紐付ける職業、と考えた時に、ソムリエの言葉の表現を学ぶのが良いのではないかと考えました。
かつて、日本のランニングマーケットがアメリカのランニングカルチャーを輸入したように、フランスのソムリエからモノを伝える言葉を学ぶのは、筋の悪い話では無いと思うのです。著名なソムリエであり、ワインだけでなく日本酒や焼酎にも精通した、田崎真也さんが書かれた「言葉にして伝える技術」より引用します。

 ソムリエがワインの味わいを記憶するのは何も、お客様の前で吟遊詩人のごとく、ワインを文学的に表現するためではありません。その目的は、まず、ワインの価値を判断するためです。今、自分の前にあるワインを知るためには、他のワインと比較する方法が理想的です。しかし、一本のワインの価値を判断するたびに、いつも同時に複数のワインを開けることはできません。そこで、世界中に存在するワインのなかで、いったいどんな位置づけにあるかを判断するために必要となるのが、”味わいの記憶”なのです。ワインをテイスティングし、それらの香りや味わいを克明に記憶することができるとすれば、わざわざ複数のワインを開けることなく、頭のなかで過去味わったすべてのワインと比較することができます。その結果、一本のワインを味わいながら、「このワインは、テロワール(あるいは品種)の個性がはっきりしている」とか、「このワインの質からすると、この仕入値は安い(高い)」などの位置づけができます。この価値判断ができるということは、ソムリエの職業において非常に重要なことです。 pp76−77

 これほどIT化が進んだ現代社会にあって、五感を使って記憶するというアナログ的なやり方をしないで、たとえば、パソコンにいったんデータを入力して、そこから検索するほうが正確で便利なのではないかという意見が出てくるかもしれません。ワインを試飲する時に、色、香り、味を入力して、過去に試飲して入力したデータと照合して、一致するものを検索したとしても、その銘柄を判明させることは現実にはかなり難しいと思います。
ましてや10年前に試飲したワインはその当時と今とでは、10年の歳月の流れにより、同じワインでありながら、相当熟成が進んでいるし、自分自身の感覚も違っています。pp78−79

 ワインと靴選びに共通する点は、モノの価値判断が相対的なことだと思います。
自分自身の感覚を言語化することで、モノのデータを言語に置き換えて記憶し整理をする。その段階になってはじめて、言葉で相手に伝える指標が出来上がります。
例えば、僕がある靴をお客様に勧めるとします。そこで説明するモノのデータは、お客様によって全く違います。カタログスペック通りに話すこともあれば、カタログの文言とは真逆の性質を語ることもあります。なぜなら着用者によって、その靴の特徴が、メリットにもデメリットにもなり得るからです。
ワインであれば、ヴィンテージのワインなら、熟成の具合でデータは変化しますし、料理との相性で感覚も変わってしまいます。自分以外の他人となれば、なおさら同じ感覚になるのは難しいと思います。(ここでいうテロワールとは、土地そのものを指すだけでなく、その土地の風土や、風土を活かした醸造家の技法も含みます。)

では、ワイン選びに再現性を見出すのは難しいのでしょうか? ここで、ソムリエのワインのデータを言語化する過程が機能します。つまり、モノ(データ)→コト(体験価値)に変換することで、モノ(ワイン)自体のクオリティに再現性を求めるのではなく、コト(体験価値)に再現性を見出しているのです。


 ソムリエの世界では、目の前にある一種類のワインの判断をしようとするときに、比較したほうがわかりやすいからといって、二本、三本とそのつど開けて試飲するわけにはいきません。もちろんそのようにすることもありますが、基本的には、目の前のワインと、自分の頭の中にある過去に試飲したワインのすべての記憶と比較することがプロの能力となります。何万種か正確な数字はわかりませんが膨大なデータ群と一瞬に照合してすみやかに価値判断します。それにより、このワインはこの地域でこの品種からして、この味わいであれば非常にレベルが高く、5000円ならばコストパフォーマンスが高いとか、あるいは反対に10000円では高すぎるとか、というように判断できるわけです。一種類のワインを飲みながら、記憶に残っている過去に試飲したデータと照合することで、はじめてブドウ品種の個性が顕著に出ているとか、バランスのいいワインだけれどもその産地の個性が少し薄いとか、様々な判断ができます。ですから、最も便利で使えるツールは、ワインを試飲し、そのとき自分で感じた感覚を言語化して、それを自分の頭き記憶することなのです。(中略) お客様にすすめるための条件の優先順位は、上位から、予算、目的、好み、最後に料理との相性…といった順ですが、パソコンのデータはすべてが過去の実績でしかありません。でも実際にサービスをするお客様とは、つねに一期一会なのです。過去から、現在、未来を想像できなくてはなりません。そこが、プロのサービスにつながるのですから。pp84−86


 靴選びにおいても、重要なのは体験価値の提供です。特定のスポーツに使うためであったり、ファッションとしての装いであったり、目的や好みに応じてデータ(記憶)で選別し、最終的に、他の道具との相性や、使用者の個別の骨格や動作を加味して、最善の選択を提供します。
次に、ワインと靴の文化の違う点ですが、ソムリエの表現に使う言葉は、どの国のソムリエ同士であっても共通認識として使える言葉を使用します。だからこそ、言葉で表現することで、実際に飲まなくても体験価値として再現が可能なのです。
 

 日本独特の、たとえば樟脳の香りとか、蚊取り線香の香り、梅干しの香りとかいっても、日本人ならば理解できるかもしれませんが、海外のソムリエたちには全く理解出来ないので、これらは、共通認識となりません。たとえば、日本では、ピノ・ノワールの香りを「小梅みたいな香り」と表現する人が、ときどきいますが、この表現も同じように非常に不正確です。小梅とは、梅の品種(または園芸変種の総称)であり、その生の小梅にはピノ・ノワールに見られ香りはありません。ピノ・ノワールの香りを正確に表現するとしたら、「紫蘇に漬けた小梅の香り」となります。しかし、この表現は日本人にしか通用せず、海外のワイン関係者には、それがどんな香りを表しているのか、まったく通じないのです。(中略) よくソムリエは、言葉を自由自在に並べて表現していると言われますが、それはけっして自分の感じたオリジナルな言葉によって表現しているのではありません。ブラインド・テイスティングであれば、そのワインを言い当てるために、審査員たちと共有できる単語を述べています。ここが重要なのです。これはソムリエの世界に限らず、どんな場面でも、感覚を相手と共有し、共感するためには、互いに理解できる言葉で表現し合わないとまったく意味をなさないことになるわけです。(中略) ワインを表現する言葉のなかにも、日本人にはなかなか理解出来ないような言葉がたくさんあります。たとえば、グロゼイユ(赤フサスグリ。英名はレッドカラント)やフレーズ・デ・ボワ(野生イチゴ)などのような、日本の果物屋さんではあまり扱っていないものです。しかし、それはフランス人のソムリエの間だけの共通の理解ではなく、世界中のソムリエが共通理解するべきものですから、プロならば勉強しなくてはなりません。でも、日本人のお客様に対してそのワインの味わいを説明するときは、その方にわかりやすい言葉を選んで言い換えるのは、言うまでもありません。P91ーP94

 ランニングシューズのモデルを比較する場合、車に喩えるケースがあります。
この喩えは、世界で最も大きな北米のマーケットで使われることが多いです。日本は1970年〜2000年代ごろまで北米のマーケットの商品や文化を輸入し続けていました。日本でも、一部のブランドやコアユーザーが車の喩えを使いましたが、共通の言語として定着することはありませんでした。ソムリエがワインを伝えるような言葉の体系化を日本は怠ったのです。では、なぜ出来なかったのでしょうか? 
それはランニングシューズの評価方法の問題だと考えます。前述のとおり、ランニングシューズは毎年モデルチェンジをする習慣となっています。もしフラッグシップモデルのモデルチェンジがないとすると、それはブランドの衰退として市場には受け取られてしまいます。しかし、機能面のアップデートを繰り返す中で、ブランドの本来の個性を失ってしまうケースもあります。

 田崎さんの本には、日本人がよく使う食事へのコメントが実は何も言い表していない、という辛口な意見があります。その背景には、日本の減点法とフランスの加点法の違いがあるのではないかと考えています。(もちろん、アップデートの問題は日本独自の問題ではなく、グローバル展開しているブランドのほぼ全てに当てはまる問題です。)つまり、日本は加点法の評価方法のやり方を学んでいないということが、表現方法の幅広さに繋がらないのではないか?と私は考えます。

 「クセがなくて、おいしい」という表現は、「否定をして肯定する」という、実に日本的な思考ですが、その根底にあるものは、学校などのでの採点方法である「減点法」の影響ではないかと僕は思っています。たとえば学校の試験問題を考えてみましょう。学校の先生たちは、満点を100点とした問題を作ります。しかも基本的には、明らかに答えがひとつしか出ないような問題ばかりを出題します。そして100点満点から、間違った答えを減点した点数がその生徒の評価になるというスタイルです。答えが二つ以上想定される出題をした先生は、責任問題になります。ところが、たとえばフランスの小学校は違います。実は僕の娘がフランスの学校を卒業していることもあり、強くそれを感じています。フランスの学校では、日本のように答えがひとつしかないような選択問題ではなく、文章形式の試験が多いのが大きな違いです。ですから、模範解答をある程度は想定していても、もしも生徒の答えのほうが優れていると先生が判断したら、その問題が仮に5点満点設定であっても、6点とか7点をつけるのです。つまり上限を定めることなく、加点法で採点していきます。(中略)この日本の減点法が、味覚の評価にも大きな影響を与えている例が、実はあります。毎年開かれている日本酒の全国新酒鑑評会です。やはり100点満点を任意にもうけて、減点の少ないものに金賞を与えていくやり方です。P67−P68
 各蔵元の独自の個性よりも、『あるタイプ』を理想として、そこに重点をおいた審査がなされていることがわかったのです。つまり、減点のないものですから、言い換えると、無味無臭の水に近いものでもよいのかということです。少しでも異臭を感じるもの、苦味がちょっと強い、あるいは甘みが強いとなるとそれが減点対象になります。ただ、実際にはそれこそがその土地の個性あるいはその蔵元の個性なわけです。その個性を減点対象とするか、加点対象とするかで、酒のあり方は大きく違ってきます。P69−P70
(現在は、鑑評会の基準は変わってきている点を捕捉します。)

 ですが、加点法というのは難しい評価方法です。採点する側に非常に高いリテラシーが求められます。例えば、香りについてですが、ピノ・ノワールというフランスに由来するブドウ品種の香りを、世界中のソムリエ達との共通言語として扱っています。ですが、そのような体系化が確立したのは、実は、割と最近のようです。田崎さんがはじめてフランスに渡った時、パリのワインスクールに通っていた時のエピソードです。

 そのワインスクールでは、フランス人のソムリエ見習いたちも生徒として授業を受けていました。ただ、当時の学校で受けた授業を思い起こすと、今に比べて、香りに関しての語彙はかなり乏しい内容でした。花の香りがする、フルーツの香りがする、スパイスの香りがする、ハーブの香りがする…せいぜいこの程度で、テイスティングシートには、欠点を指摘するような表現方法も記載されていました。個性的な香りの一部が、欠点として扱われていたのです。まさに、日本酒の全国新酒鑑評会で用いられるのと同じ減点法をベースにして、減点理由を表現する言葉を使用していました。当時のフランスでも、評価のイニシアティブをとっていたのは、生産者や醸造家の使用しているコメントだったのでしょう。ソムリエが、飲む側の立場から創作していたものではなかったのです。生産者や醸造家にとって、日常のワインの試飲は、欠点をチェックすることも重要な作業ですから、日本酒の利き酒用語と同様にネガティブなコメントが多かったのでしょう。PP96-97

 歴史のあるフランスのソムリエでも、香りに関しては減点法の評価からはじまりました。少しづつ香りの表現力の必要性が認知され、今のソムリエのスタイルに至ったのです。ここから私が学んだことは二つあります。
一つ目は、シューズを履く側の立場から考えた、言葉や表現が必要ということです。履く側のライフスタイルの変化や、それを取り巻く時代の変化の機微に対応していく必要があります。例えば、僕がこの本を通して考えたことを、読む方と共有することで、ご自身の仕事と以外な共通点が見つかったりするかもしれません。そういう接点からシューズやスポーツに興味を持って貰えることで、これまで届かなかった人に言葉が届くとしたら、履く側の方達の共通言語からシューズを語るのも、一つの方法だと思います。
二つ目は、価値基準が一点に集中しているシューズの状況を、過渡期の一環として捉えなおすことです。シューズの機能は年々走ることに特化し、構造はより複雑になってきています。より多くの新機能や要素を取り込んできているという意味では、加点法に近い様相に見えるかもしれません。ですが、実際は、ほぼ同じ要素で構成され、大きな流行の価値基準に照準を合わせています。残念ながら、多くのブランドが減点法的な価値判断のゲームに参加していると言えます。ですが、これまでも流行の揺り戻しにより、全く違うシューズが出てくることはありました。そして、過渡期の中で生まれた、新しい機能や考え方をフラッグシップモデルに取り入れることで、ブランドのアイデンティティに時代の空気を反映させてきました。このアイデンティティの起源を、これまでの流行の変遷と共に語り続けていくことが、自分の役目だと思います。今の現状は、長い歴史から観れば一局面に過ぎません。始めに述べた、自分が苛立ちを感じてきた10年というのも一つの局面に過ぎないわけです。そして、それを自覚したうえで、日々の取り組みから少しずつ変えていくことしか出来ません。ワインの評価の変遷からもわかるように、文化が多様な価値観を認めるには時間が掛かります。時には、生産者が、自身のアイデンティティを軽んじることもありえます。語り手として、ブランドの起源から現在に至るストーリーを紡ぐこと、そして、その先のストーリーに想像を巡らせることが重要だと思います。


 以上の、二つを既に実践しているランニングブランドがあります。そのブランドは、ここ10年程で生まれた後発で規模の小さいブランドです。彼らは大手のブランドのような戦略はとれませんでした。ですが、そのことが結果として、業界に新たな息吹を吹き込もうとしています。次回は、そのブランドからストーリーの語り方、ユーザーとの関わり方の具体的な方法を学びたいと思います。


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