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祖母の残した戦争体験を記録した手記 「ある母の道」#13

 一夜明け十五日、どこから出たのか岩国にピカドンが落され町は無くなるとそんなうわさが流れた。大家さんの家族と私の四人で室の木の山奥深く入っていった。
ピカドンから逃げるために、リュックに大事な物を収め鎌とスコップを持ち、あっちこっち場所を物色し、ここと思う所の木を切り倒しテントが張れる様地ならし、そして柱を立てた。少し傾斜地だったので手にするまで大変な労力だった。それに大家のおじさん、おばさんは激しい力仕事が出来る年ではないので大方は私が造る羽目になった。それでも夜明けを待って山に入ったので昼前には八割方出来、あとは廻りに蓆を張るだけにして麓の家に水を飲みに下りた。
表に廻ると家の中に沢山の人が集まっている。ラジオが重大ニュースを放送するとの事だ。何だろう、大家のおばさんの妹の家がすぐ近くに有るのでそこまで大急ぎで走った。この家にもあっちこっちの山から下りて来た人達で庭はいっぱいだ。
声がラジオのスピーカーを通して流れる。

「忍びがたきを忍び、耐えがたきを耐え・・・・・・朕はここに・・・・・・」

聞いてびっくり、日本はこの戦に負けたという、玉砕放送だ。
ラジオから流れる天皇のお言葉を聞いて誰一人物を云う者はない。
鼻水を啜る音がするばかり風が無情に木の梢をゆすって通る。
そのわずかな風に吹れ散った葉は空中を舞いヒラヒラ地上に落ちる。
そんな音が聞こえる程みな無言である。
静かな中に放送は終った。
呆然としている、秒刻に時間が過ぎてゆく。
誰かがさけんだ嘘だ、負けはせん負けるものか、負けてたまるか負けたんじゃない。その声で痴呆のようになっていた人達はハットしたようにぐやぐやがやがや云い出した。
でも皆泣いている。
ほほをつたって流れる涙を拭きもせず木に寄りかかり大声で泣く人、地面を叩いて喚く人。銃後といえど戦場と立場は異なるが、皆勝つ事を言じて苦しさも悲しさも耐えて戦ってきた。この様な結果で終り、人々は気持のよりどころをうしないそれが悲しく辛いのだろう。私とて同じ気持である。
勝つまではとはり切って生きてきたんだもの情けない。
しかしその感情とはうらはらに私は希望がわいてきた。
戦争が終れば夫が帰ってくる。子供達の父親が帰るのだ。
こんなうれしい事はない。
しかし、又しかしだ色々な事が次々と起り思考がはっきりしないだからしかし、しかしで考えが次々に変るのだ。戦争に負けた日本は、これからいったいどうなるのだろう。子供達は私や父や母、そして多くの人々こんな事を私が考えてもどうなるものでもないことは分っている。でもなぜか悲しい涙が後から後から出てくる。
恵子と栄子がそんな涙を不思議そうに見ている。

 空を見上げて気が付いた。
昨日まであんなに飛んでいた飛行機が今日は一機も見えない。
やはり戦争が終ったのは事実だったのだ。
こんな形で終戦になるとは夢にも思って見なかった。

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