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報道

道は暗かった。

周りを見渡すと、田園が広がっている。ポツンポツンとあるコンビニやスーパーマーケットの光が、より一層、その街の物寂しさを強調していた。

助手席から風景を眺めながら、僕は、遠くまで来たなと思った。

「近くで水難事故が起きたから、その現場をおさえてくれ」

そうデスクから電話がかかって来たのは、つい1時間半ほど前のことだった。

コロナ禍であることなど関係なく、照りつける太陽の下で取材を終え、一服している最中だった僕らは、もう一仕事かと、いやでも吹き出る汗をぬぐいながら、カメラマンとともに重い腰を上げた。

場所は、ここからさらに奥。高速を使っても1時間以上かかる。

時間は17時を少し回っていた。

会社に帰るのが遅くなりそうだな。うだるような暑さのせいでぼんやりとしながら、そんなことが頭の中に浮かんできた。

現場に到着すると、すでに地元の警察が捜索を進めていた。事故は、川遊びに来ていた男性が、10m近くある崖から川に飛び込み、浮かび上がってこなくなり、行方不明になったというものだった。

僕は、カメラマンとともに、川岸から一段高い場所に陣を構え、夕方のニュース番組に向けて、救助活動の様子をカメラ越しに見守っていた。高台は、私有地であったため、持ち主の家に声をかけに行くと、家の中からすでに事故の現場を見ていて、状況を把握しているようだった。

消防車の赤いパトランプの回転が、家の中にまで侵入して、部屋のなかを赤い光がかけまわっていた。

なぜだか、僕には、その光景がひどく他人事のように感じられた。

現場に居合わせているのに、それはどこかで見聞きしたことのある、一つのシーンとしてしか捉えようがなかった。

陽が少し落ちて薄暗くなった片田舎の街で、ひぐらしの鳴き声がするこの川岸で、しかし、それは確かに、誰かにとっての今年の夏の現実だった。

川岸から、捜索の様子を見守る、友達と見られる2人の若者がいた。

そのうちに、2人は警察に連れられて、規制線の先にある崖上まで行って、救助隊に状況の説明をしているような身振り手振りを始めた。

2人は、いかにも地元でヤンチャをしているような風貌をしていた。規制線の先から戻ってくると、僕らの方を一瞥して通り過ぎ、おもむろにタバコを吸い始めた。

友人の1人が命を落としたかもしれない状況で吸うタバコは、どんな味だろうと、僕は、吸い込んでは赤くなるタバコの先を見つめていた。

現場について、30分ほど経ち、暗くなり始めた頃、捜査は打ち切られた。男性はその日、見つかることはなかった。

それとともに、僕らの撮影も終わった。

僕は、最後に2人の後ろ姿を見て、現場を後にした。彼らの姿からは、動揺も悲しみも感じられなかった。ただ、今日という日が終わろうとしているなかで、明日、明後日と機械的に続く日々へ、空虚な眼差しを向けているように、僕には感じられた。

帰りの車のなかで、さきほどまで見ていた光景がテレビの画面に映し出されていた。

僕らの仕事は終わった。

ここに来る前まで、別の取材を終えて、一服していた人たち。一方で、川に遊びに来て、友人の1人が行方不明になるという、人生観を揺るがす出来事に遭遇した人たち。

同じコロナ禍の夏、同じ日、同じ時間であるのに、両者の間は、それが持つ意味の違いによって、圧倒的に隔たっていた。

「続報とかやるんですかね?」

その隔たりを埋めるように、僕はそう聞いてみたくなった。

「いや、やらないでしょ」

ただ一言、そう返ってきた。

帰り道にコンビニで買ったアイスが、いやに舌にまとわりついた。

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